初めての話 4 [ライフ]
久しぶりにシリーズ「初めての話」
今回は・・・・・・キャンプファイヤー
ある程度、人数が揃わないとキャンプファイヤーは出来ない。
少ない人数で炎を囲んでも、焚火になってしまう。
小学校の時、林間学校があった。
しかし、夕方から雨。
しとしと降る雨。
結局、近くの体育館を借りて、キャンドルサービスをした(キャンドルサービスも初めてだったけどね)。
それから、私のキャンプファイヤー熱が生まれた。
次のチャンスは早々にやってきた。
私が所属していた子供会で初めてキャンプをしようという話が上がった。
役所の方と子供会、そして父兄で話し合い、募集を開始、何の躊躇もなく結局近所の連中の殆どが参加した。
はっきりと集計はしていないけど、大きめのバスが2台。
70人位の子供たちと、父兄・自治体・お手伝いの高校生で100人くらい。
小学校5年生のこと。向ったのが、相模湖。
後の、オートキャンプやキャビンなど無い。テントを張るキャンプ。
事前に練習した、A型テントを張った。
昼は良い天気で近くのプールに入りに行ったけど、次第に空が暗くなってくる。
班ごとに夕飯はメニューを自分達で考え、食材を用意し、作るのだが私が見えた範囲ではどこも定番のカレーだった。
さあ、待ちにまったキャンプファイヤーだと思っていたが、早々にキャンプファイヤーは中止し、屋内施設でキャンドルサービスをするという。
なんで・・・まだ雨は降っていないじゃないかと思ったけど、結局会場に向かう最中に雨が降り出してきた。
キャンドルサービスに思い出は無かったけど、班ごとで何か出し物をすることになり、班長の中学生の統率力に幼いながら感動したし、翌年は副班長、翌々年は班長へ就任することとなる。
皮肉なことと言えるかもしれないし、本当なら感謝しなくちゃいけないだろうけど翌日は晴れた。
自然の中で遊ぶゲームをして楽しんだ。
何ていうゲームか分からないが、熊とキツネと猟師と振り分け、相手の人数を減らすゲームだったと思う。
熊はキツネに対して強い。キツネは猟師に対して強い(化かす、騙す)。猟師は熊に対して強い。
そんな三つ巴のゲーム。
林間学校のリベンジは果たすこと無く、小5のキャンプは終わった。
小学校の行事としては、修学旅行があったけど日光であり、キャンプファイヤーのような行事は無い。
ちなみに、その修学旅行も雨だった。
さあ、今度こそリベンジと挑んだ、子供会のキャンプ。
向った場所は失念してしまった。
人数は前年とほぼ同じ。
昨年の相模湖より、より自然の中でのキャンプ場だった。
その当日、夜までのことは殆ど覚えていない。
ただ、その長い夜のことはよく覚えている。
キャンプファイヤーなど、考える余裕も無かった。
もし、今の時代であれば、小学生中心の集団がA型テントで一夜を明かすような状況ではなかった。
とにかく、テントの周囲を雨水が入って来ないように、溝を掘る。
早めに食事を摂り(多分、カレー)、夜に備えた。
とは言っても、当事者たちもあんな大雨になるとはその時は思っていなかった。
電気ランタンを点け、トランプをしていた。
そろそろ、就寝の時間が近づいてきた頃、雨と風が強くなってきた。
風はひどいが、周囲の土もぬかるんできて、打ち込んだペグが抜けそうになっている。
私のテントの年長者は班長の中学生、その次が副班長で小6の私。
班長は雨の中ずぶぬれになり、周囲の堀を大きく掘りなおしている。私はペグを足で押し込み直すが、危険な状態。
中に戻り、ポールを支える。
今思い出しても不思議だが、あれだけ父兄が居たのに、誰も見周りに現れなかった。
ものすごいスピードで雨雲と風は去り、翌朝はとてもよく晴れていた。
しかし、落ち葉とゴミが散乱し、竈で使うつもりの薪も完全に水を吸っていて火など付かなかった。
どこから調達したかわからないが、朝ごはんはおにぎりだった。
オリエンテーリングのような「追跡ハイキング」という誰が考えたか分からないが、とても楽しめるハイクを楽しんで小学生最後のキャンプを終え、キャンプファイヤーは中学生までのお楽しみとなった。
中1のキャンプは矢板だった。
最初に参加した時は中1は全体でも年長のだったはずだが、この年は中1が主力だった。
人数は昨年より随分と減った気がする。
あの雨で懲りたのかもしれない。
偶然なんだろうけど、班の組み合わせが中学のクラスメイトが多数。新鮮さが足りない(笑)
この日はバスで向う時点で雨。
もう、正直諦めていた。
夕餉の支度も屋根有りの竈場で行った。
毎回定番のカレーだったが、この年は違った。
クラスメイトの女子を少し見直した。
食べ終わる頃、雨がやんだ。
父兄が話し合い、キャンプファイヤーを行うことが決まった。
その会場はテントサイトから離れた場所にあり、随分と登り、随分と歩いた。
夢にまで見た、井桁型に組まれた木材。
役所から来た、指導員が点灯しようとするが濡れた薪に火はつかない。
ホワイトガソリンが持ち込まれ、ブチマケ、点火すると勢いよく燃えるが、結局ガソリンが燃えているだけで、ガソリン成分が飛べば、火は小さくなっていく。
そんな消化不良のキャンプファイヤーでも3年越しの夢は叶った訳で、ちょっと感動した。
ただ、テントに戻る頃にはその感動はどこかへ行ってしまった。
キャンプファイヤー会場からテントサイトに戻ることに。
それが、肝試しだった。
もともと、そのように計画されていたようだ。
とにかく怖かった。
雨でぬかるんだ、粘土質の地面はとても滑りやすい。
渡されたろうそくだけでは、全員の足元は照らしきれない。
チェックポイントにお手伝いの高校生が大きめの火をともして待っているのでけど、班長としてはとにかく無事が一番と思い、一生懸命おどかそうとしている父兄や高校生の期待に応えることは出来なかった。
その次の年もキャンプは企画されたが、募集しても人数が揃わなかった。
念願のキャンプファイヤーを昨年果たした私は応募しなかった。
あの矢板のキャンプが子供会最後のキャンプだったようだ。
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