3月10日を前に [歴史と出会う]
サクラが咲いています。
早咲きのオオカンザクラ。
東京都復興記念館の前にてコンデジにて撮影しました。
ちょっと前のエントリーにも書きましたが、外回り中信号待ちで停車中、東京都慰霊堂の前に「戦災写真パネル特別展」の看板があるのに気がついた。
見に行こう、見に行こうと思いつつなかなかいいタイミングが無かった。
外回りしながら、巧く昼休みに来られればいいなとは思っていたんですが、無理でした。
間もなく東京大空襲のあった3月10日が迫ってきている。
写真展は14日まで開催されているけど、気になって気になって。
そんな日曜日、突然のお留守番のピンチヒッターが現れたので、電車でGO!
駅から傘をさして歩くと、傘が持って行かれる位風が強かった。
冷たい雨でしたね。
金曜日も営業車で通ったので知っていましたが、東京都慰霊堂では春季慰霊大法要の準備が整っていた。
思ったより多い?いや、思った通り少ない・・・。と自分でもよく解らない感情を持ちながら公園内を眺める。
慰霊法要が近いから、平日来られない人が今日来ているかな?なんて思った割に人は少ない。
でも、慰霊法要が直前にあり、冷たい雨降りの日と考えたら結構人が集まっていたのかもしれない。
この東京都慰霊堂があるのは横網公園。
後で横網公園の当初の設計図を見た。
陸軍の被服廠跡地を東京市が買い取り、公園を造ることにした。その設計図を見るとトラックのようなものがあった。
造成が始まって間もなく関東大震災が起こり、造成中の公園予定地は恰好の避難場所に思えて人々が集まる。
震災が起こした火事が風を呼び、この避難場所が火炎に包まれ関東大震災による死亡者の半数がここで亡くなっている。
もともとは関東大震災の慰霊堂なんですよね。
慰霊堂の前の春季慰霊大法要の文字。関東大震災の被災者と東京大空襲の被災者共々、春と秋(9月1日)に大法要が行われています。
まず先に、復興記念館にお邪魔しました。
石川光陽さんの戦災写真パネル特別展はここで行われています。
鍵付きの傘立てに預け、受付の男性に目だけで挨拶をして中へ。
あ、入館料などありませんよ。
順路指示に従って、まずは右手に。
1階は関東大震災関連の展示です。
先ほどちょっと書いた、横網公園の本来の完成予定図はここでみました。
地震計が書き込んだ針の揺れであったり、火炎で溶かした金属製の品物であったり・・・。
ジグザグに歩きながら、建物を左回りに一周しましたが、その間に誰とも会わず一人きりでした。
順路に従い、石の階段を昇り2階へと行きます。
ここでも順路に従って廻ります。
といいつつもよく順路が分からず、まずが建物中央部の大きな部屋に。
ここでは関東大震災後、復興の模型や絵画などが展示されていました。
2年前にもこの復興記念館に来ましたが、その時にはあったかなぁ??記憶にない阪神淡路大震災の際の写真が掲示されていました。
その後しばらく関東大震災関連の常設展示が続き、最後の方で戦災関連の展示があります。
ドーリットル空襲の資料やその後のB29による空襲資料が続きます。
そして石川光陽さんの写真パネルの特別展示。
どれも見たことある写真。
ただ、慰霊堂で見た写真や本や雑誌で見た写真は、3月10日の大空襲前後が多いのですが、終戦間際の八王子方面での写真は恐らく初めて見たのかもしれません(見たことがあっても、知識が無く覚えていないのかもしれません)
最後に机があり、当時の生活が分かる資料やビデオが置いてあり視聴も出来ます。
2階で会ったのは、戦後世代のご夫婦と推測される二人と、スーツを着た私と同世代の男性、それに私が階下に降りるときにすれ違った、20歳前後と思しき女性が二人。
私が「東京大空襲」を認識したのが小学生の時に読んだ、早乙女勝元さんの東京が燃えた日。
戦争など全く知らない世代の私は読むには読んだ。確かに、著者の空襲下の回想は小学生の私にも胸に刺さりましたが 、正直全く内容を理解出来ていなかったと思う。
ただ、その本に掲載されていた写真が強烈でしばらく夢に出てくるんじゃないかと眠るのが怖かったと思う。
手元にその本は無いけど、もしかしたら掲載されていた写真は石川さんが撮影した写真だったのかなぁ。
もし、この特別展示や慰霊堂内の写真を見るなら、心して見る必要がある。
ただ、それが石川さんが伝えようとした「戦争」の事実なんだから。
さて、慰霊堂にお参り。
中に入ると左側の壁に石川光陽さんの写真が掲示されています。
高い方に大きめに引き延ばしたもの、低い位置にはやや小さめのもの。
先ほどの復興記念館で見させて頂いたものが多いのですが、慰霊堂の中で見るのはまた違うもの。
普段、都内を営業車で外回りをしていますが、写真の中の風景は何となくその場所が分かるような気がするが、今の風景とは全く違うものを伝えてくる。
慰霊堂の右側には徳永柳州さんが書いた関東大震災の様子を描いた油絵。
先ほどお邪魔した復興記念館にも沢山の作品が展示してありました。
戦災を写す石川光陽さんの写真とともに、徳永柳州さんの油絵が震災の地獄絵図を当時を全く知らない私たちに教えてくれています。
震災と戦災により多くの人の命が奪われたのですが、その慰霊が同じ場所で行われている。
元々、震災被害関連の資料は慰霊堂内に納められていたそうですが、それが増えて復興記念館が建てられた。
先ほど思ったのは、戦災の資料展示スペースが少ないなということ。
すぐそばの東京江戸博物館や北砂の資料館もありますが・・・。
震災と戦災の慰霊を分けた方がいいという意見もあるそうです。
ただ、たまに外回りの際に見かける夕方の風景、下町の公園。そこに慰霊堂も復興記念館もあるけど、子供たちが普通に遊べる場所。
今日は写真をほんの少ししか撮りませんでしたが、オオカンザクラだけでなく沢山の花や木々が植えられています。
楽しく遊ぶ子供たちの声が一番の慰霊だと思うし、その声を守ること、震災に備え、戦争を根絶すること。この考えは分ける必要はないと思いました。
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