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私は不器用。 [僕と妻の1778の物語]

よくこのブログでもよく書くことですが、演技がどうのこうのとか、演出がどうだとか、脚本が、カメラワークが・・・と批評出来る能力はない.

ただ、間違いなく私が述べることが出来るのは、私が好きか嫌いか?を含めた自分の気持ちです。

じゃあ、映画「僕と妻の1778の物語」を見てどう思ったのか?

自分の気持ちながら、これを文書にするのに困ってしまった。
これ程、自分のボキャブラリーの少なさに閉口した事が無い。

 

 

※この先は私の気持ちであります。映画を観る前の方、人の感想を読んで受け入れられない方、私の気持ちなど読みたくない方は決してここから先に進まないでください。

 

このブログにおいて「僕の生きる道」は重要な位置を占めているのは皆さまにも十分に伝わっていると思います。それ程大切なドラマです。
このドラマはその後、シリーズ化して、ついに『シリーズ初の映画化』と謳われました。

このところ、映画を観に行く事がめっきり減っておりました。
「僕と妻の1778の物語」も観に行くかどうか、正直言って半々までも行っていませんでしたが、特番の中で使っていた言葉。


「僕の生きる道シリーズの集大成」

 

そう言うなら、行くしかない。
そう思ったら、公開初日のレイトショーに行っておりました。

じゃあ、観た率直の感想は?

『集大成』というハードルに私は足を引っ掛けてしまった。

好きか嫌いかと問われたら、嫌いじゃない。
鼻につく部分もあるけれど、嫌いじゃない。
嫌いなら、ロケ地なんか行かないし、これだけ記事にも上げない。

だけど、大好きな大切な「僕の生きる道」の集大成と言われると、どうしても首をひねってしまう。

それが何なのか?
この気持ちを文章にするのが、とても難しいんです。私の気持ちのくせして・・・。

 

まず、「僕の生きる道」を初めて観ていた頃の受け止め方と今の自分の受け止め方。これが変わっているんだと思う。私がスレているのかもしれない。
そして、映画「僕と妻の1778の物語」については事前に原作を読んでいる。とは言っても、映画の中に登場する眉村さんが奥さんに贈った小説の方であり、映画とは異なっている。
それでも、読んだ時の世界観がある程度出来ていた事。これが影響しているのだと思う。

じゃあ、原作を事前に読まなければいいじゃないかと言われるけど、それは読書するなと言っていることになる。
年間100冊を目標にして読書をしている。最近ではジャンルに拘らず広く読んでいるつもり。
そのような沢山の本の中には映画化されるものもあり、結局本を読んでから映画を観るという事は珍しくない。
映画化の後、本が出版されるというのはノベライズなど一部のものであるはず。

映画化、それと併せて『リメイク』についても言えるけど、偉大なる「原作」「前作」に対するハードルというのは私にとっては大変なことなんだと思う。

『映像化不可能と言われた作品の映画化』・・・

過去に何度か耳にしたけど、このフレーズが付く作品については事前に原作を読んでいた場合はまず、残念な結果となる。
例えば、『ホワイトアウト』であったり、『ローレライ』であったり。
他にもあるけど、映像化不可能と言われた物を何とか「映像」にした場合、事前に私の中で描いた映像に追いつけるはずが無い。
それだけじゃなく、原作に書かれている大切な事を『映画化』という規制(技術と上映時間、そして営利目的)の中で、好む好まざるどちらなのか分からないが信じられないような手を加えてくる。

私が何かで読んだ記憶があるのですが、福井晴敏さん原作の「終戦のローレライ」は最初から映画化を念頭に書かれた作品だと聞いている。映画化するにあたり、ヒットを狙うなら「女性」の登場が望ましく、潜水艦物に女性は通常登場しない。それをクリアする為に女性も登場させている。
にもかかわらず、やっぱり映画は短すぎた。
あまりにも原作でとても大切な部分を削り過ぎた。

何しろ、フリッツ・シンヤ・エブナーが映画では殆ど登場しない。妹であるパウラ・アツコ・エブナー(映画では香椎由宇さんが演じています)の回想シーンで幼少期のフリッツが登場するだけ。原作を読まれた事がある方はご存じだと思いますが、フリッツが重要な登場人物であったのに。
他にも映画では佐藤隆太さんが演じた、清水上等工作兵。映画を観た時目を疑った。野球のボールを落とし、それを拾おうとして溺死。

・・・・・・・・・・・。

原作でも彼は最終的には命を落とすけど、あまりにも映画での死に方が違いすぎる。
映画内で妻夫木さん演じる主人公の一人折坂上等工作兵の親友。

他にも言いたい事は山ほどあるけど、最後にもう一つ。エンディング。
どうやら、ディレクターズカット版があるようだけど、私は観ていない。
少なからず、お金を払って映画館で観たエンディングは原作とは違う。
そりゃあ、そうだ。そこまで行く過程であれだけ削り、あれだけ変えてしまえば同じになるはずがない。

リメイクの場合は?

例えば、「ポセイドンアドベンチャー」
あの名作は2度リメイクされているが、手を加えると「前作と異なる物」となり、同じように作っても「前作」を超えることは出来ない。
ジーンハックマンのハッチを開放するシーンも、シェリー・ウインタースの元水泳選手役も誰もとって代わる事が出来ない。


「僕と妻の1778の物語」は原作に手を加えての映画化であり、「僕の生きる道」の集大成と謳うことで『リメイク』に近い要素を求められることとなった。

となると、私にとっては述べた例の通り、すんなり受け止められる土壌は持っていなかったのだ。


もし、「僕の生きる道」を観ておらず、眉村さんの原作を読んでいなければ、何の違和感もなく見られたかもしれない。
と、いいつつも「僕の生きる道」と出会っていなければ映画をみることも無かったのだろう。

「僕の生きる道シリーズの集大成」というフレーズが、私のハードルを上げさせてしまった。

本来、この映画が持っている力以上に、私が身構えてしまった。

 

 

もし、再び「集大成」を目指すならお願いしたい事がある。多分、私の中では僕の生きる道を超える事は無いとは分かっていても。

小日向さんも浅野さんも、映画の中で「らしい、良い味」を出していますが、あまりにもチョイ役すぎる。
是非、重要な役を演じて欲しい。

ただ、これは私の気持ちであり、人それぞれ思うことは違うでしょう。
それが普通だし、それでこそ映画なんだと思う。


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