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そうだ、京都へ行こう(15) 壬生浪士 [紀行]

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このエントリーは随分と書き直しました。
最初に手をつけたのは土曜日の夜。京都散策を順番通りに書いているので、飛ばす訳にはいかない。
何度かエントリー内やコメント欄で宣言していた『京都観光でレンタサイクルは有用か?』の方を先にアップしようか悩んだけど、どうにかこのエントリーをアップできそうです。

レンタサイクルによる京都散策も『返却』という縛りがある限りどこかで踏ん切りをつけなくてはならない。
あらかじめ立てておいたプランはとっくに崩壊していた。その結果、行きたいと思っていた場所をシンプルに思い出した。


現在の本能寺さんのそばの薬局で買い物をし、四条大宮駅をまずは目安にして走り出す。

元々の本能寺があった場所のすぐそばを通過して、目指す場所は壬生。


京福電鉄の線路を渡り、目指す場所を見つけた。

自転車を停める場所に躊躇したが、すぐそばにいる女性に一声かけて端っこに停めさせていただく。
聞けば、ちょうどガイドツアーが始まったばかりだという。
その女性に1000円を支払い、誠の旗が掲げられている長屋門をくぐる。

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訪れた場所は八木家住宅。
京都市指定有形文化財 新選組 壬生屯所遺跡(八木邸)

この長屋門の先は一切撮影禁止。
カメラをカメラバッグにしまい中へ入ります。

八木邸の母屋へ入ります。

スニーカーを脱いでポリ手提げ袋に入れて式台を踏み、中に入る。
母屋には既に10人程度の客がガイドさんの説明を聞いています。
カサカサと音を立てるポリ袋に気を遣いながらゆっくりと近づくとガイドさんがどうぞどうぞ近寄ってと声をかけてくれます。

ほとんどの客が一番奥(庭寄り)の近藤勇像のある10畳部屋に入っていますが、私は遅れて入ったのでその手前の6畳の部屋に座ります。
扇風機がゆっくりと部屋の中の空気を攪拌します。

ガイドさんの説明は当時の歴史的背景の話から新選組が結成されたことなどが説明されているようです。
このあたりは幕末あたりの歴史を齧っていれば分かる範囲でしたが、それより気になるのは今私たちがいる場所、あの夜に起きた事件の事。


ガイドさんの話が文久3年9月、ある夜の話となります。

島原の角屋で新選組の会合が開かれ、そのまま宴会へ。
芹沢鴨と平山五郎、あまり飲めない平間重助がここ(八木邸)に帰ってきます。

芹沢は奥の10畳間の庭側(北側)に菱屋女房お梅と共に寝て、屏風を挟んで同じ部屋の南側に平山と桔梗屋の吉栄が寝ます。
今、私が説明を聞いている6畳間で平間と輪違屋の糸里が寝ていたとの事。
ああ、やっぱりスニーカーを脱いで、扇風機の風にあたり、スポーツタオルで汗を拭きながら、幕末史の大きな足跡が残る場所で私はあぐらをかいているんだ(笑)
そして、残虐な殺人事件が起きた場所にいるんだ…。(泣)

その夜、雨が降っていた。その雨音で、庭から近づく足音が聞こえづらかったと言います。

10畳間で平山とお梅が斬り殺され、平間と糸里は玄関から逃げる。
(吉栄については聞き違いかもしれませんが、この日の説明では吉栄も殺されたと・・・。通説は災難を逃れていますね。聞き間違いかなぁ)

芹沢鴨は傷つきながらも立ち上がり、隣の部屋(西側)に逃げるがそこで殺されます。

今いる10畳間と6畳間は刀傷と血しぶきで大変な状態になったと事。
部屋はすぐに修繕されましたが、天井には血しぶきが残っていたようです。今は判別できません。


ガイドさんは隣の部屋へ私達を引率します。
庭を眺めます。今、見ている庭よりも当時は広かったそうです。
当時、周辺は農村地帯で庭から二条城も見えたし、夏には五山の送り火も見えたそうです。


縁側を伝い、隣の部屋へ移動します。思ったより狭い。
そこに有名な刀傷があります。鴨居に付けられた刀傷。
よく、小説やドラマでは沖田総司が付けたような表現が多いですが、ガイドさん曰く、乱戦だったから誰のものか分からないそうです。


部屋に入ると足元に低い文机があります。
この文机に足を取られて芹沢鴨は転び、その隙に殺されました。
成程、言われるまでこの机が足元にある事に気がつかなかった。私が転んだら、シャレにならんぞ。

この八木邸で我が物顔で暮らしていた芹沢とすれば文机があったのは知っていたはずですが、暗かったことと、乱戦だった結果なのでしょう。

部屋の作りは全体的に狭く、低い。刀を振り回せないように設計されたもの。
自衛手段というより、お上が治安維持のために規制したようです。

ガイドさんの説明で八木家の方々の話となりました。
壬生狼とも言われた浪士達を怖がり、壬生の人たちは家を残して避難する事が多かった。
そんな中で八木家は同居をしています。肝が座っていますね。
この八木さん、当時の当主は10代目の八木源之丞さん。
郷士なのですが、血筋を遡ると…朝倉義景氏に繋がるようです。
織田信長によって朝倉家は滅亡しますが、義景の子、又兵衛が丹波に逃げ落ちた。
その土地が「八木」であったので八木姓を名乗るようになったそうです。

うーん、そう考えると先ほど本能寺さんのそばを通ったのも何かの縁なのか。

この母屋に入るときに潜った長屋門や今いる部屋の引き出し、瓦にも朝倉家と同じ三盛木瓜が付けられている。

芹沢が殺された、この部屋では八木源之丞の奥さんと息子兄弟が寝ていたと言います。
芹沢が倒れたところに寝ていた。
兄弟は斬り合いを見ていないようですが、終わったあとの凄惨な状況は見たそうです。ワタシニハタエラレナイ。

その部屋から土間の方を見ると、刀を置いておくラックのような物もありました。

見学を終えて、南側の部屋に移り最終的に元の玄関口より外に出ます。

外に出て、記念撮影を開始。
とは言っても長屋門の内側では撮影禁止なので外から。

 

 

 

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みんな先に撮っていたのかと思ったけどそうでは無さそう。
私よりも後から来た人やこれから見学する人もいるので身を乗り出して撮影することは出来ず、写真も数枚だけ。

1000円の料金というのは本日の京都観光で最高額の料金だったけど、実はガイドツアーが終わったあとにお抹茶と菓子が頂けます。

母屋の手前にある建物入り、涼みながらお抹茶とお菓子「屯所餅」を頂きました。

 

 

 

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さて、このお抹茶とお菓子を頂くと漏れなくプレッシャーも加わります(笑)
案内された建物は和菓子屋さんです。
それも現在の八木家当主のお店、「京都鶴屋」さんです。
実際、お菓子は美味しかったので、次から次へと何かの魔法でもかけられたようにお土産のお菓子を購入しています。

私もそのひとり(笑)

屯所餅は日持ちが三日間(夏季)であり、既に私は食べたので違うものにしました。


次のツアーが始まるようです。
先ほど私より後から来た人は、聞き逃したところをもう一度聞くために中に入っていきます。

私は自転車の鍵を外して出発します。

旧前川邸は現在は個人宅であり未公開。

壬生寺については、この写真のみ。

 

 

 

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ちなみに買ってきたお菓子は

 

 

 

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わらび餅。

 

 

 

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御洒落でしょ。

うーん、やっぱり屯所餅の方が良かったかな(笑)

さて、悩んだ挙句このようなエントリーになりました。

実は何度も何度も書き直したのは、気になることが多すぎて終わりが見えない。

歴史の解釈は何通りも説があることが多い。

幕末についても混乱期という事もあり、何が正しいかわからない。

新選組が正しいのか、新撰組が正しいのか?

山南敬助は『やまなみ』なのか『さんなん』なのか?

体の名前は重要人物の苗字の読み方もあやふやな部分もある訳だから、八木邸で起きたこともいろんな解釈があるんです。

新選組三部作を執筆した子母澤寛さんは八木源之丞さんの息子、為三郎さんから直接ヒアリングしている。
為三郎さんから両親の話も聞いたし、両親と隊士達の会話も聞いている。
そのような伝聞ならば脚色もあって当然だろう。

八木邸でのツアーガイドさんの説明とヒアリングをした子母澤さんの著書の内容と異なることがある。

さらに、その子母澤寛さんにして「新選組始末記」と「新選組遺聞」で書いている内容が矛盾している事がある。

永倉新八の口述回顧録である「新選組顛末記」や司馬遼の作品などがさらに絡み合い、巨大迷路に迷い込んでしまった。

果たして試衛館組は庭から侵入したのか?玄関から侵入したのか?
その夜、皆はどこで寝ていたのか?

いろんな人の説明を聞いた上で、自分で納得できる解釈を求めているようです。

書きかけの文章は随分と削ぎ落としてこのエントリーをアップします。

その削ぎ落とした中にいろんな解釈を書きかけておりました。

機会があれば、書き足そうと思います。

 

 

そうだ、京都へ行こう(1) 京都駅
そうだ、京都へ行こう(2) お東さん
そうだ、京都へ行こう(3) お西さん その1
そうだ、京都へ行こう(3) お西さん その2
そうだ、京都へ行こう(4) 移動手段
そうだ、京都へ行こう(5) 清水寺 その1

そうだ、京都へ行こう(5) 清水寺 その2
そうだ、京都へ行こう(6) 産寧坂、二寧坂
そうだ、京都へ行こう(7) 霊山護国寺、高台天神
そうだ、京都へ行こう(8) 高台寺 その1
そうだ、京都へ行こう(8) 高台寺 その2

そうだ、京都へ行こう(8) 高台寺 その3
そうだ、京都へ行こう(9) ねねの道
そうだ、京都へ行こう(10) 八坂の塔
そうだ、京都へ行こう(11) 八坂神社~哲学の道
そうだ、京都へ行こう(12) 銀閣寺 その1
そうだ、京都へ行こう(12) 銀閣寺 その2
そうだ、京都へ行こう(13) 南禅寺 その1
そうだ、京都へ行こう(13) 南禅寺 その2
そうだ、京都へ行こう(13) 南禅寺 その3
そうだ、京都へ行こう(14) 西入る
そうだ、京都へ行こう(15) 壬生浪士
そうだ、京都へ行こう(16) 東寺 その1
そうだ、京都へ行こう(16) 東寺 その2


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CYPRESS

『宮本武蔵』(→最近は『バガボンド』だね(笑))に出てくる京の吉岡清十郎は、京の室内戦に対応し発展した小太刀術を使ったそうですが…

幕末になると室内戦ではどうするなんて事も忘れ去られたんでしょうなぁ。

by CYPRESS (2012-08-20 23:47) 

maeboo.

CYPRESSさん、こんばんは
この日戦った者は、当時の武士の中では剣術に真剣に取り組んだ方だと思います。
試衛館サイドのメンバーは様々な憶測があります。
沖田総司は間違いないところですが、一説にはスパイ容疑の者をメンバーに加えた節も。その場合は立ち回りもおぼつかない物が傷つけたのかもしれません。

ただ、部屋と鴨居は低いのですが、縁側廊下の天井は高かったです。
芹沢鴨が廊下にいる場合だったら、上段から切りつけた可能性はありますし、鴨居の傷も東側から西側に向けて切り込まれているので、追いかけつつ切りつけた可能性もありますね。(妄想)

by maeboo. (2012-08-21 22:58) 

けんけん

maeboo.さん

こんばんは。
素晴らしい「京都紀行」、拝読しました。

こうやって幕末に関連する場所の写真を拝見すると・・・
以前(もう25年以上前?)、日本テレビ系で放送された「白虎隊」、「五稜郭」の年末ドラマが思い出されて・・・
特に堀内孝雄さんが歌う「白虎隊」の主題歌「愛しき日々」が蘇ってきます。

あれ以来、会津、函館を訪れたいと思いつつ・・・函館は昨年行けたのですが、会津は訪れる機会がなくて・・・一度は訪れたい場所です。
by けんけん (2012-08-25 23:00) 

maeboo.

けんけんさん、こんばんは
歴史好きですが、幕末も好きなのでこのエントリーは書き始めたら終着点が見つからない状態になりました。

この旅で一番印象的な場所かもしれません。

すぐそばの壬生寺さんには、それ程興味を持たなかったのですが、旧前川邸は中に入りたかったな。
一般公開はされていませんので、写真も撮りませんでした。でも、雰囲気は伝わりました。

疲れていた事もありますが、お抹茶を頂きながらぼーっとしていると当時の様子が目に浮かぶようでした。

会津・・・ギクッ!?

京都へ行かなかったら、会津へ行っていたかもしれません。(笑)
by maeboo. (2012-08-25 23:20) 

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