そうだ、京都歩こう(16) 龍安寺 15個の石は見えるだろうか [紀行]
さて、公開されている仁和寺の本坊見学を忘れて歩き出しております。
京福電気鉄道(嵐電)を使わずに歩き始めたのは、地図を見た記憶では十分に歩けそうなこと。
そして、御室仁和寺駅から2駅乗って、龍安寺駅に向かっても駅から北上、そこそこ歩きます。
ならば、仁和寺さんから歩いてもあまり変わらないだろう。
そして、歩き始めた道は『きぬかけの路』と名付けられていました。
仁和寺から金閣寺まで続く市道ですが、宇多天皇に関係する故事にちなんで公募で決まった名前だそうです。
車の通行量は多いのですが、歩道も確保されております。
大徳寺さん周辺よりは歩いている人は多かったですね。
さあ、1km位(あくまでも私の感覚)で龍安寺さんの入口が見えてきました。
拝観料を500円納めます。
ここで貰った半券付のチケットはカバンの奥底にしまわないようにしましょう。回収されるのはもう少し先です。
山門から入ります。
左手に鏡容池を見ながら歩きます。
うーん、想像しているより広そうだなぁ。
でも、もっと混んでいるかと思ったけど、ゆったりしているね。
ゆっくりお庭を観ることが出来るかな。
庫裏が見えてきた。
今まであまり気にしていなかったけど、今日はいっぱい見ているなぁ。
さあ、ここから石庭を見るために靴を脱いで上がらさせていただきます。
ここで拝観券の提示を求められます。
おっと、さっきカバンのポケットに入れてしまった。
慌てて取り出します。
半券が切られました。
ここでも念のため、写真撮影の可否を確認します。
しかし・・・・・先程まではゆったりしていたのに、中に入ると人、人、人。
龍安寺の方丈にあった襖絵は狩野派一門の手によるものだったらしいのですが、売却され一度公開されてから戦争を経て行方がわからなくなったそうです。
一部は見つかり、龍安寺に戻ったり、アメリカの美術館にあったり。
さあ、庭を拝見しましょう。
超広角レンズを使っても、全てを見渡せません。
さて龍安寺さん、方丈の前庭である石庭は京都観光でも著名なスポット。
そして、有名な石庭の謎。
誰が作ったのか?
遠近法の利用。
そして、決して15個の石を同時に観ることが出来ない。
見る人にその意味を委ねるといいます。
色々な解釈があり、15という完璧な数字(満月=十五夜など)にたどり着けない・・・。
無心になり、心の目で見ればというが・・・
下手したら14個も見つからない(涙)
人の数を数えたほうが・・・
鈴なりです。
方丈の真ん前、座っている人達の頭越しに何度も石の数を数えました。
俗物の塊の私の目にはなかなか映らないようです。
先日、この庭とほぼ同年代に描かれた雪舟(等楊)の国宝『秋冬山水図』(東京国立博物館蔵)を見て来ました。
左右二副から出来ていて、右側が秋の山水図「秋景」。
左側が冬の山水図「冬景」。
頭の中で再構成した絵とは言え基本的に写実絵画。
しかし、「冬景」はどう見ても上半分、背景がおかしい。
よく見るとバランスが崩れていて、遠近感が狂っています。
雪舟等楊ほどの絵師がこんな間違いを犯すはずがありません。
と言う事は何か意図があり、こんなバランスが崩れた構成にしたのです。
この絵が描かれたのは雪舟等楊70歳の頃らしく(1490年頃)、応仁の乱から10年程後。
そろそろ戦国時代へと向かう頃。
こういう時代背景から、
世間に漂う不安を表していると第一に考えられます。
しかし、見ているとどうもそれだけではなさそうです。
つまり、実際の物を描かず見ている人の自由に解釈出来る「もの」を描いたと考えると無理がありません。
「自由に解釈出来る」
これ、抽象画の特徴です。
西欧絵画で抽象画が現れるのは、1910年、ワシリー・カンディンスキーが描いた時です。
カンディンスキーが描く400年以上前に日本ではすでに、抽象画が描かれていたのです。
それも写実絵画を破壊せず、その中に描きました。
茫然自失、目が点のこの事実(笑)。
そしてこの龍安寺方丈庭園、maeboo.さんも書かれている通り自由に解釈出来る(@_@)。
自然(=写実表現)の中に何の違和感も無く抽象表現である枯山水を組み込めるこの巧みさ、創造力。
写実の中に抽象を組み合わせる、自然の中に人工を組み合わせる、
こんな事が出来るのは日本人だけです。
他で見たことありません。
重森三玲氏の「永遠のモダン」の一面はこんな所にも在るのかもしれません。
by CYPRESS (2015-12-23 22:04)
CYPRESSさん、こんにちは
龍安寺のお庭については、私としては決着していない庭です。
この記事を書いた時点では、まだ大徳寺山内に到着する前で大仙院や瑞峯院の重森三玲の庭を見る前でした。
あまりの人の多さにしゃがむこともせず、人の頭越しに庭をしぱし眺め、移動しました。
龍安寺の庭の作者は不明。小堀遠州ではないかと言われています。
遠州作と言われている国宝大徳寺本坊庭園について三玲は遠州らしくないと言ったらしいですが、三玲は龍安寺の庭についてはその後自身の作庭に活かしたらしいので、今一度ゆっくりと観てみたいです。ても、分からないのだろうな。
今は沢山観て、あっこの庭はいいな、とか感じる程度の修行中です。
http://souda-kyoto.jp/knowledge/kyoto_person/vol35.html
by maeboo. (2015-12-24 11:26)