そうだ、京都歩こう(24) お庭に隠された十字架 [紀行]
大徳寺さんの塔頭の中で公開されている4つの塔頭の一つ、瑞峯院さんへ。
キリシタン大名として歴史の勉強でも習った、大友宗麟(義鎮)の菩提寺であり、夫人とともにお墓があります。(お墓は大分/津久見市にもあります。)
さて、細かい雨はまだ降っており、陽は雲に隠れていますが徐々に夜が近づいてきています。
そろそろ拝観時間が設定されている場合、その終了となる時間帯です。
大徳寺山内ではこちらが最後になるかな・・・
1535年(諸説あり)に建てられました。
方丈も玄関も門も室町時代の物です。
中に入ると大柄な外国人観光客ひとりが拝観を終えて出てこようとしています。
お寺さんの多くは靴を脱いで上がります。日本人にとっては慣れた行為ですが、大柄な外国人は玄関に腰を下ろして彼の体躯ではちょっと狭い場所でスニーカーを履くのに懸命でした。
とは言え、下駄箱から配管受付までは彼の横を通らないといけないのでちょいと会釈をしながらすり抜けます。
大人拝観料400円を納めます。
例によって、写真撮影を問い合わせると可との事。
玄関から方丈へ
いつも悩むのですが、この先どちらから廻るのが正解なのでしょうか?
主に方丈の南側に広いお庭があるのが定番だと思いますが、大仙院さんのお庭の構成は渓谷から大河へ、そして大海へと水が流れるようすを方丈を囲む様子を表していました。ならば、左回り(ここで右に曲がる方向)に行くべきなのか?
と、考えると時計回りで左に行きます。なんだろう、ほぼ習性です。
井戸。これは歴史的価値があるかどうかは・・・・わかりません。
そしてすぐにお庭へ
大仙院さん同様に、いや大仙院さんよりも小さな面積のお庭。
龍安寺さんの庭石が全部見えない・・・というような事もなく肉眼で見通せます。
大友宗麟の菩提寺であり、方丈も室町時代の遺構ですがお庭は作庭師・重森三玲の手にかかった物。昭和の庭です。
お庭の名前は「独坐庭」
お庭の端っこにある説明書きを読みますと
荒波に打ち寄せられても雄々と独坐している蓬莱山の風景です。
さわがしく忙しい日々の生活ひとときを静かに坐ってこの蓬莱山のように雄大な泰然とした心境を 体得したい!!
とありました。
なるほど、拝観時間を気にして次の施設へ!と焦る必要がなくなり、また殆ど他の拝観者がいない状況下、お庭を独占していると、穏やかにお庭を眺めさせていただけます。
泰然とまではいきませんが、清々しい気持ちで歴史の一端を感じ取っていました。
さらにもう一つのお庭
茶庭
廊下を巡って北側に向くと
閑眠庭
このお庭も重森三玲氏が作庭しております。
重森氏は東福寺や松尾大社、光明院のお庭も手がけています。
重森氏はこの閑眠庭を作ったのは1961年です。
そして重森氏はこの庭に禅寺でありながら十字架を納めました。
キリシタン大名である大友宗麟を意識してということでしょう。
宗麟自身もびっくりしているかもしれません。
ただ、私には見つからない・・・。
横に3つ
縦に4つ
の石で十字架が組まれているそうです。
わかりますか?
閑眠庭の向こう側にある茶室が安勝軒。
宗麟の頃にも同名の茶室があったそうですが、その名前をとったものです。
瑞峯院さんには3つの茶室がありますが公開されているのはこの安勝軒だけ。
平成待庵は利休の妙喜庵待庵茶室を写したもの。
キリシタン灯篭
地面に埋まっている部分にマリア像が彫られているとのこと。
うーん、もしかして
もしかしてだけど
航空写真では見えないから分からないけど
先程の十字架の石組み
その縦の延長上にこのキリシタン灯籠があるのでは!?
(WEBで調べたら、どうやらそのようです。)
今日はお庭をいくつか拝見しました。
龍安寺さんのそれも、大仙院のそれも、この瑞峯院さんの庭も、知識がない私が見ても同じものではないことは分かる。
何が違うか説明しろと言われても困るが。
龍源院さんのお庭はもう時間的に今日見る事ができないけど、それもまた違った印象を受けただろうと思う。
どれが良いとか悪いとかは分からないけど、観光客が少ない程、心落ち着くことは間違いなく、大仙院さん以上にこの瑞峯院さんでは心をすーっと落ち着かせることができました。
悟りとかそういうことではなく、今いるところに歴史の勉強で習った大友宗麟が居たり、あの三門を秀吉がくぐったりと。
うん、そう考えるだけで楽しい。
さあ、そろそろ時間です。
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