永遠のモダン [記事一覧]
このままでは底なし沼にはまってしまう。
そう、アラームが頭の中で鳴っているのを感じる。
それでも人の興味というのは、なかなか制限することが出来ない。
法的に問題がなく、モラルにも反さず、経済的にも、時間的に余裕があれば興味は抑えなくてもいい。
だが、自分の事はそれなりに知っている。
ダメだダメだダメだダメだダメだ。
あ、足を一歩踏み出してしまった。
ああ。
飽きることを祈ろう。
CYPRESSさんがコメントで
6月20日放映の美の巨人たちで
京都南禅寺の特集が組まれると教えていただきました。
2012年の夏に南禅寺さんを訪れており、ご存じのとおり、京都にはちょくちょく訪れている。
時間の問題も新幹線代も生活に支障の無い範囲で嵌まっている。
これだけなら何の問題もないが、南禅寺方丈庭園。その庭の造園に関わった小堀遠州の名前を書き残された。
地雷だ。
CYPRESSさんが仕掛けた地雷。
避けて通れば問題ない。
だけど除去しないと永遠にあのエントリのコメント欄に残り、いつ興味を爆発させるか分からない。
なら、爆発する前に興味という名の地雷を処理しよう。
2012年の夏
2014年の年の瀬
2015年のGW
京都を訪れた。
カメラを持ってお寺さんを巡る。
最初は興味は無かったが、お寺さんを巡ると多くのお庭を見ていた。
その中でそれまでの人生で知識として無かった重盛三玲という名前を覚える。
庭
庭園
枯山水
作庭
これらの知識など皆無なのに惹かれるものを感じた。
だから、2015年GWの京都訪問は重盛三玲さんのお庭を見るというのが主目的だった。
まだまだ浅い知識。
まあ、これ位でいいだろう。
そこに放り込まれた興味という爆弾。
日曜美術館で重盛三玲さんの特集がされるとまず教えて頂いた。
これは見ないはずがない。
東福寺さんの本坊庭園を訪れたばかり。
記憶と感動の復習だ。
そしてその爆発力は期待以上だった。
重盛三玲さんの肉声で語られた言葉は私が見たお庭の印象と比しても違和感は無い。
CYPRESSさん、今度は小堀遠州という地雷を仕掛けた。
小堀遠州はこれまで自分の人生の中で触れていたかもしれないが記憶に残っていなかった。
もう少しお庭の事を勉強していれば避けられない人物なのに。
前述の通り、2012年夏から今日まで3回遊びで京都を訪れている。
その行程でどれだけ小堀遠州氏ゆかりの場所を訪れているのか。
2012年夏。
高台寺を訪れている。
高台寺の庭園は小堀遠州の作と言われている。
お庭というより回廊の記憶が強い。
南禅寺も訪れた。
※このお庭は南禅寺の別院、南禅院の庭。最終的に夢窓疎石によって完成された。京都でも珍しい鎌倉時代末期の庭園。
今度、美の巨人たちで特集されるが本坊方丈南庭は小堀遠州の作。
ここも見た。お金を払って見た。
その時のブログ記事を読み直してもあっさりしたものである。
撮影可だったが撮影していない。
2014年末
大覚寺を訪れた。
そこの宸殿にも上がった。
この宸殿が小堀遠州の作という。
小堀遠州は作庭師というより建築家と感じた。
龍安寺
エリザベス女王もそのお庭を眺められた。
私も観に行ったが、庭を見る以上に人を見、禅を感じる前に混雑を感じた。
大徳寺を訪れた。
大徳寺塔頭の大仙院でお庭に少し興味を持ち、同じく塔頭の瑞峯院にて重盛三玲氏を初めて意識して眺める。
この日の旅程は瑞峯院が最後であり、人も少なかったこともあり、ゆっくりと眺めた。
大徳寺派大本山である大徳寺さんの方丈庭園。非公開なので気がついてもあの日見ることはできませんでしたが、この庭も小堀遠州の作とも言われている。
それ以上に確度が高いのが大徳寺塔頭の龍光院、孤篷庵。
庭というよりこの寺院を建立したのが小堀遠州。
2015年GWは
知恩院さんを出て、東山駅に向かう途中、お腹を空かせて通過したが青蓮院さんがある。
天台宗の三門跡寺院に挙げられる。ここにある霧島の庭が小堀遠州の作と言われている。
どうだろう。
僅か三回だが京都を訪れた旅程の中に小堀遠州ゆかりの場所が存在した。
京都の史跡はまだまだ存在し、また京都以外にも彼が手掛けたと言われる作事がある。
似たような感覚がある。
運慶作と伝わる。
快慶作と伝わる。
世の中にそんなに手掛けた作事があるのか。
もうちょっと妄想してみれば、プロデューサーとして名は伝わるが実際に庭を作り上げたのは別人。さらには、ブランド詐称。
ああ、ダメだ。
重盛三玲さんの庭に何か惹かれるものを感じた。
日曜美術館でさらに彼の考えを知り、何となくわかった気がする。
昭和の小堀遠州と重盛三玲は言われたそうだ。
となると益々小堀遠州さんが手掛けた南禅寺本坊方丈南庭を見たときに何故なにも感じなかったのだろうか。
あの日は暑かったからか(笑)
で、web上をごそごそ漁っていると、あるお話が掲載されていた。
要約すると、重盛三玲は南禅寺本坊方丈南庭を見ている。
そうだ、日曜美術館でも放映されていたが、重盛三玲は日本各地の庭を見て回った。
南禅寺の庭を見ていても、おかしくない。
そして、重盛三玲は南禅寺の庭を小堀遠州らしくないと評している。即ち、小堀遠州が手掛けたままの庭ではないと言っている。
今なら私は重盛三玲氏の発言を何の迷いもなく信用してしまう(笑)
いいじゃないか。
私は研究家ではない。
自分が感じた事がすっと落ち着く推論に身をまかせたほうが楽だ。
重盛三玲が言うとおり南禅寺の庭が小堀遠州の作でないとすれば、重盛三玲氏が手掛けた庭に興味をもった私と重盛三玲が感じた違和感が多少は一致していること。
また、重盛三玲が小堀遠州らしくないと言うならば、やっぱり小堀遠州は素晴らしい作庭師である証明なんだと。
いやあ、これで興味とその背後にある不信という名の地雷を取り除けた。
これで安心して美の巨人たちを観ることができる。
ただ、私はまだ知らぬ興味の地雷原に足を踏み入れてしまうのかもしれない。
法的に問題がなく、モラルにも反することなく、時間的にも経済的にも破綻さえしなければ興味を持つことは良い。
たが、その枠からはみ出したら恐い。
私はどうなるんだろう。
ああ、あの人のせいだ。
と、責任転嫁っぽいが忘れないように記事にしておこう。
おやおや、いい時の過ごし方をしていらっしゃる(笑)。
お庭で忙しいでしょうが、機会があれば以下の日本画を見ると、
お庭を同じ「もの」が漂っているんで驚くこと間違い無し。
俵屋宗達作「松島図屏風」(フリーア美術館、ワシントンD.C.)
それを模した尾形光琳作「松島図屏風」(ボストン美術館)
この2点は枯山水そのものです。
ゴッホがこの絵や日本庭園を見たらどうなっていたか、想像すると中々愉快です。
尾形光琳作「八ッ橋図屏風」(N.Y.メトロポリタン美術館)
それを模した酒井抱一作「八ッ橋図屏風」(出光美術館、東京)
日本庭園は自然の産物である植物と石、岩、それに砂紋で飾った砂を組み合わせる。
自然と人工の組み合わせ。
屏風の方はカキツバタを意匠化していても写実描写。
題名にも入ってる橋は絵具の滲みを使った「たらしこみ」で、この技法は抽象表現に近い。
こちらも自然と人工の組み合わせ。
ほらほら、面白そうでしょう(笑)、maeboo.さん?
by CYPRESS (2015-06-16 23:44)
地雷原だ・・・。
しばらくじっとして、動かないようにしよう。
ミレーが三玲の庭を観たらどう思うのだろう?
by maeboo. (2015-06-16 23:49)