挫けそうになる。 [ライフ]
ブログが重たい。
前から、そう書いていたがやっぱり重い。
先日、管理ページからソネブロユーザーに対して、表示遅延等の事実確認について書かれていた。
まだ、改善されていないけど取り組んでいると思いますので、何とか頼みます。
今日も、遅延というよりアップロードしようとしたら技術的エラー画面が出たり、技術的エラーでアップされていないと思い、記事を書きなおしたら実は前のがちゃんとアップロードされていた。
なら、削除しようと思ったら、削除エラーが出る。。。。。
頑張れ!ソネブロ!
頑張れ!俺!
勇作くん、かすみちゃん。 [ライフ]
伊藤さやかさんだ!
実写版 陽あたり良好!の岸本かすみちゃんだ!
数年前にテレビで見たけど、さらに痩せたかな。
DVD-BOX
中古でも17,000円か・・・。
八幡の藪知らず [紀行]
国道14号沿いにある、十間(約18m)四方の藪。
ちなみに私の背中には市川市役所がある。
都市開発の途中で、切り取られた結果残った土地と思われるかもしれませんが・・・。
江戸時代の書物に十間と書かれており、あまり大きからず、高からずとも書かれている。
そう、大きさは変化していません。
百年ののち(4) [紀行]
乃木坂、乃木邸内にある乃木希典さんと子供の像。
浪曲にもなり、よく唄われた乃木将軍と辻占売りの少年とのお話を表した像です。
少将時代に金沢を訪れた際に街頭で辻占をし、祖母と弟妹の生計を立てている話を聞き、2円を渡し励ました・・・と言う。
その後、その少年は立派に成功したとの事。
さて、それが乃木邸にあるのも何だかなぁ~と思っていたら、元々は別の場所(六本木)にあったらしい。
マルカワのガム、あたりを手に訪れる場所 [ライフ]
今日、病院の帰り道。
道はやたらと混んでいた。
あともうちょっとで家に着くというのに・・・。
コンビニに寄ろうと思い、バス通りを走ったのが運のつき。
そのコンビニも駐車場が満車だった為、時間の無駄遣いだった。
なかなか動かない車の中から、外を眺める。
目の前にある、綺麗な今風の一軒家を見ながら、昔のここの風景を思い出す。
百年ののち(3) [紀行]
今日のブラブラ。
目的地はここでした。
乃木坂へ行くのに、なぜ、明治神宮前からって思われるかもしれませんが、それでも歩いてやってきました。
元々は幽霊坂と呼ばれた坂道。
乃木希典さんがここに住み、死後、坂の名前は乃木坂となり、地名も乃木坂となっていきます。
彼が自ら命を絶ったのが1912年の事。
今年で100年経ちます。
百年ののち(1) [紀行]
昨晩からの雪が止んだ原宿。
本当なら、フェアウェイの端っこを歩いていたはずだがゴルフ場がクローズとなり、その結果(?)原宿に来ていた。
原宿という言葉だけだと随分久しぶりに感じるが、明治神宮や代々木公園にはブログに写真をUPしている通りある程度の間隔では来ている。
しかし、どうも『原宿』というと馴染みが少ない。
2012年初撮り 三溪園 旧東慶寺仏殿 [紀行]
さて、この日三溪園を訪れようと思ったきっかけの建物にやっと到着しました。
旧東慶寺仏殿(本堂)です。
もう随分と前の事のような気がしますが、昨年末に訪れた北鎌倉。
縁切り寺で有名な東慶寺さんを訪れました。
そこで東慶寺さんの仏殿が三溪園に移築された事を知り、2012年の初撮りをするにあたり、三溪園に行こうと決心したのです。
長寿な日曜日 [ライフ]
感染性胃腸炎も良くなり、お酒も飲めるようになりました。
柔らかいものばかり食べていた反動か、固いものが食べたくなりましたが、ボチボチとバランスよく食べるようにしています。
来週は本当に久しぶりのゴルフ。
ここまで来ると、ゴルフの練習をしようがしまいがスコアに与える影響は少ないので、ゴルフの練習ではなくカメラ散歩にしました。
迷子のマイリトル・シェフ [ライフ]
CYPRESSさんと同様、ドラマ「マイリトルシェフ」で一番好きなの放送回は第8話。
連続ドラマだから、初回から最終話まで続くストーリーはあるのだけれども、ゲストがも持ち込むストーリーが毎話完結するので、ある一話だけを観ても楽しめる作品。
このドラマ、本放送当時、おそらく1回だけ観たことがあると思う(7話)。
その時は全く興味が無く、仕事が早く終わったので帰ったからテレビを点けたらやっていた程度だろう。
その後、「僕の生きる道」を観て、矢田さんの作品をレンタルビデオ店で借りてきた作品群の中の一つでした。
2012年初撮り 三溪園 旧矢篦原家住宅(1) [紀行]
さあ、今度は大きいぞ。
三溪園、恐るべし。
何でもあるんだなぁ。
旧矢篦原家住宅。1750年頃の建物で重要文化財です。
世界遺産に登録されました、白川郷にあった合掌造りの古民家です。
移築されたのは、もちろん世界遺産登録前(昭和35年)
ロックフィルダムの御母衣ダムの建設で集落が沈みました。
他にも多くのダムが周辺に作られ、多くの集落が無くなったという時代背景がありました。