2014年夏 中山法華経寺(2) [紀行]
中山法華経寺、境内を進みます。
中山法華経寺さんの境内に入るのは何年ぶりだろうか?
いや、何年なんかではないね。
このブログでも書いたことがありますが、私は雨男。
小学校の学外行事の殆どが雨。
修学旅行も林間学校も集合写真はみんなレインウエアを着ており、髪の毛を濡らしながらその瞬間だけ傘を閉じている。
遠足の写真も少ないのは雨天中止か、行ったはいいけど雨のため途中で予定変更、集合写真を撮る暇なし。
そんな中で唯一記憶として残っているピーカンの学外行事があった。
それが写生大会。
そう、小学校の時に写生大会で来て以来なのです。
ん10年前は [ライフ]
小学生の今頃は
どうしていたんだっけ?
あまりにも
あまりにも
昔過ぎて覚えていない。
小学校のクラスメイトの大半は近所に住んでいたので、夏休みであろうと四六時中会えた。
残りの半分はなかなか会えず、早く学校が始まらないかな~という気持ちが半分。
そして、ああ・・・・・宿題・・・・が半分。
2014年夏 中山法華経寺(1) [紀行]
駅に到着。
いや、実際にはこの駅を利用しておらず、JR総武線の下総中山駅から歩いてきました。
そして踏切に阻まれて、ここで初めてカメラバッグからカメラを取り出しました。
日蓮宗大本山 法華経寺の最寄り駅である京成電鉄京成本線の京成中山駅。
京成を連呼していますが、「中山」だけだと並走しているJR総武線の駅名と混同しやすいの『京成』をつけて呼ぶことが多い・・・と言われますが、私は京成中山は「中山駅」と呼ぶかな。
JRの本八幡駅に対して京成八幡は「八幡」で通じる。
但し、JRの西船橋駅に対して京成西船駅がある。これは難しい。JRの西船橋駅を「西船」と呼ぶ人は多く、よって京成の西船駅は「京成西船」と絶対『京成』を付ける。
同じようにJRの船橋駅と京成船橋駅があり、やっぱり京成船橋には『京成』を付ける・・・・いや、「京船」と呼ぶ。
と、京成電鉄とJR総武線の並走区間の話をしたら多分、千葉駅まで到着するか、さらに成田まで行きそうなのでやめておきます。
そんな大本山の最寄り駅は京成本線を走る快速特急も特急も通勤特急も快速も止まらず唯一止まる電車が『普通』。
所謂、各駅停車。
多分、初詣の時期には臨時改札が解放されて各々のホームから外へ出ることが出来ると思われるが、通常時は片側のホームにしか改札はなく、下りホームから一旦上りホームへ口内踏切を渡る必要がある。
幼少期にはよく乗った京成電鉄。違和感など全くない。
少しずつ、少しずつ [ライフ]
東京はここ数日、ちょっと過ごしやすくなりました。
いや、明け方は迂闊な格好をしていたので、ちょっと涼しい位。
また、残暑厳しい日もあるのでしょうが、少しずつ少しずつ夏を送り、秋を迎え、深めていくことでしょう。
そして、暑さが和らげば
元祖・・・・・・こ、これは [今日の飲み物・食べ物]
さて、先日は都電荒川線の始発・終着駅である三ノ輪駅。
その駅、至近の商店会、ジョイフル三ノ輪を歩き、懐かしいスタイルのパン屋さんを見つけました。
今度、行こう・・・と思っているのですが今日は別のパン屋さん。
外回りで立ち寄りました。
森下駅は何度かカメラぶらぶらで歩いたことがありますね。
そして、夜は夜で素敵な町。
同僚たちとちょっと足を伸ばして、モツの煮込みだ!!!と山利喜さんへ行ったり、日本酒だ!と山登さんへ行ったり。
そばの京金さんにも行きたいなぁ。
と、グルメな街でもありますが、昼飯抜きで外回りをしているサラリーマンは丁度15:00に店頭を歩いていた。
あ!
あかおび [ライフ]
赤帯と聞いて、ソーメンを思い出す、夏の日。
2011年に全駅制覇目指し、乗って・降りて・歩いた都電荒川線。
商店街で制汗ウエットティッシュを買おうと思い、都電三ノ輪駅の前を通過。
すると、往年のイメージカラーをまとった電車が
裏目、恨雨、安曇野へ(15) [紀行]
大王わさび農場を出て、豊科・・・・いや違った、安曇野インターチェンジを目指して走ります。
往路、高速を降りてから穂高方面へは新しい道を走っていったのですが、復路は約20年前によく使っていた道を走って帰りました。
ガソリンを満タンに補充して、高速に入ります。
長野道を走っているうちに雨が止んできました。
岡谷ジャンクションより中央道に入り、諏訪湖サービスエリアに入ります。
まあ、休憩する距離では無いのですが懐かしいので寄りました。
裏目、恨雨、安曇野へ(14) [紀行]
大王わさび農場に到着した頃から大雨。
フードエリアのベンチに座っていると周囲はわさびコロッケやわさびソフトなどなどを食べている匂いのど真ん中。
スマホで雨雲レーダーを起動させて、現在から30分後の予測を見てみても分厚い雨雲が途切れることなくやってくる。
もうわさび田の方へ行く気は失せたけど、水車の写真は撮りたい。
お馴染みの弾丸ツアーで京都行くも計画していましたが、週間天気予報を見るたびに天気はひどくなる状況。
そして京都は諦めて、その時に安曇野・穂高行きを計画しました。
7月31日のブログに水車を見に行こうと書いています。
実は京都に行くのも穂高へ行くのも時間的には変わらない。
いや、渋滞を考えたら東京駅から京都駅まで新幹線で行けばそっちのほうが早い位。
でも、電車賃等のコストと得られそうな満足感を比較して、「水車」を思い浮かべたのです。
水車は2つ。
くるまやで蕎麦を食べ、大王わさび農場で「夢」のロケ地を見つつ、わさびを買って帰る。
これを目標設定にしており、くるまやで蕎麦を食べられなかったなら、「夢」の水車は絶対カメラで撮ってやる。
その意気込みも、雨足が馬鹿にするように激しくなる。
裏目、恨雨、安曇野へ(13) [紀行]
穂高駅そばにある蕎麦屋さん、一休庵さんで遅めの昼食を頂き、大王わさび農場へと向かいます。
雨足は激しくなり、駐車場に車を滑らす頃には車を降りたくなくなるような状況。
でも、止みそうにもなくこちらに来てから買ったビニール傘を開きます。
書くのを忘れましたが、やっぱりこちらは車社会なんですね。
雨が降ってきたのでこの後絶対傘は必要だと思いコンビニで傘を手に取りレジへ。
お会計を済ませると、梱包されたままのビニール傘を手渡される。
あれ?
うーん、そうか。
商品のパッケージを当たりまえの用に開封する方がおかしいのかもしれないが、私は地元や外回りの最中に傘を買う場合、殆どの場面で店員さんがすぐに使いますか?と聞いて梱包を解く。実際には答えを聞く前から手は動いている。
こちらでは車移動が当たり前で、寄ったコンビニでも同じタイミングで入ってきたどこかの病院の看護師さんはお昼休憩の間にランチを買いに来ました風で軽自動車で乗り込んできていました。
これが真実なのかどうかは分かりませんが・・・。その店員さんだけのことかもしれないし。
ストック切れた [ライフ]
平日の更新がしんどい事もあり、お盆休みの間に記事をストックして時限更新をさせようと企んでおきながら、休みのあいだは翌日分しかストックが出来ない状態で、結局いつも通り(笑)
で、明日は早いので今から風呂入って、早々に寝ます。
裏目、恨雨、安曇野へ(12) [紀行]
碌山美術館の真ん前にもお蕎麦屋さんがありましたが、あの店へ。
そう、穂高神社を出て穂高温泉郷へ向かう際にちらっと見たあの店へ。
もし、入れそうもなかったら今回はそばを諦めよう、そう思って穂高駅付近まで到着。
お!駐車場に随分とスペースが空いている。
すぐに車を滑り込ませました。
まあ、既に14:30を過ぎているのでソロソロ空いてきてもおかしくない時間なんですけどね。
裏目、恨雨、安曇野へ(11) [紀行]
さて、安曇野アートラインをさっき走ったからにはアートに関するところへ寄らないとね。
確かに芸術的な施設は元々ありましたし、増えました。
安曇野ジャンセン美術館や絵本美術館森のおうち、田淵行雄記念館、安曇野ちひろ美術館など挙げたらキリがない。
いや、ちゃんと調べたら公式には19の施設があるらしい。
アートヒルズミュージアムではガラス細工も体験できる。
そんな美術館の中でこれぞ安曇野、碌山美術館。
地元、安曇野出身の萩原碌山(守衛)
この蔦の絡まった建物が碌山館。
彼の作品が展示されています。
裏目、恨雨、安曇野へ(10) [紀行]
お蕎麦屋さん、くるまやを出る頃には本格的に雨が降り始めました。
これまでは雨がポツポツと降っていても、カメラの防水防塵性を信じて撮影していましたが、この頃になると片手で傘をさして、片手で一眼レフにて撮影。
実際には取る瞬間には両手は添えていますが、不器用に固定した傘が気になり、構図もピントも不満足なものに・・・。
くるまやを出て、坂道を戻り再び穂高温泉郷方面へとちょっと戻ります。
両手両足の指を折り返しても足りなくらい穂高を訪れて、くるまやにも何度も通い、ここにこの建物があるとは知っていたけど、生まれる前の番組であり、強い思い入れもなく、立ち寄ることは今までありませんでした。
裏目、恨雨、安曇野へ(9) [紀行]
お蕎麦屋さんへ
穂高神社からここへ到着するまでに何軒か蕎麦屋を見送って、ここへ到着。
当日、水車の写真をブログでUPしたお店です。
穂高温泉郷から中房温泉郷方面へと曲がり、これまでに無かった上り坂を上り続けます。
道もややカーブが多くなります。
穂高川を渡り、目印は有明山神社。
こう書いていますが、それ程遠くありません。
何しろ、穂高温泉郷にある別荘に泊まっている時に頻繁に訪れたお店ですから。
で、この日はお蕎麦屋さんへ直行しましたが、かつて発生したアクシデントを紹介しましょう。
裏目、恨雨、安曇野へ(8) [紀行]
穂高神社を後にして、穂高温泉郷方面へと車を進めます。
時計は13:15、そろそろお腹が減ってきました。
やっぱり、おそばがいいな。
穂高神社を出て、駅前の交差点を通り、JRの線路を越えるべく踏切へと向かいます。
駅のそばにも知っているお店はありますが、やっぱりあの店へ行きたい。
そう思いながらも駅付近にあるお店に車の中から視線を送ると駐車場は満車状態。
時間も時間だけに混雑しているようです。
踏切を越えるとそこからしばらくは道なりに進みます。
豊科インター・・・じゃなくて安曇野インターチェンジ付近の雰囲気が変わり戸惑ったけど、この道の風景は殆ど変わっていないようだ。
道なりに進めばいいのだが、15年以上ぶりだけど風景は覚えている。
あの頃のままだ・・・・・
いや、違った。
終戦の日 終わらない戦い 始まる戦い [歴史と出会う]
終戦の日
嘘かホントか、あの戦争で日本がどこの国と戦ったのか?
ABCD包囲網を言えとは言わなくても、アメリカと戦ったことを知らない・・・
そんな会社の後輩がいるかもしれない。あいつはもしかして・・・。
恐る恐る聞いてみると、馬鹿にしているんですかと怒られた。
ほっとしたけど、知らない、興味がないって人もそこそこいるんだろうな。
このブログでも戦争関連について色々書いていますが、このブログ開設以降に知った事も多いのです。
本や新聞、最近ではインターネットでも調べることが出来ますからね。
今日の夜、CX系で放映される終戦ドラマはパラオ諸島、ペリリュー島玉砕の話。
瓦となりて殘るより、玉となりつつ砕けよや
ペリリューの事を知ったのは20年前くらいかな。もう十分成人していた。
NF光人社文庫 佐藤和正さんの「玉砕の島」を読んでから。
一昨日前、NHKでペリリュー戦の特集が組まれていた。こうやって読んだ歴史を映像や当事者達の証言、そしてドラマ仕立てで自分にすり込んでいく。
但し、ドラマや証言などは史実と異なることもあるから出来るだけ色々な角度から情報を得たい。
北のひめゆり、真岡郵便電信局事件のことを知ってから10年位しか経過していない。これも終戦ドラマとして放映された。
沖縄の島田叡知事のことは知識程度しか知らなかったけど、田村洋三さんの「沖縄の島守」を読んで深く知ることとなり、荒井退蔵さんの事も知った。
島田叡さんの事も昨年終戦ドラマ化された。
さて、今年知った69年前のこと。
『太平炭鉱事件』
裏目、恨雨、安曇野へ(7) [紀行]
歴史はそこそこ好きなつもりだったが、穂高神社を訪れて自分の知識の少なさにただただ溜息。
穂高神社、木陰に建つ像。
読んでみると阿曇比羅夫の像とある。
『阿曇比羅夫』とあるのにまず頭に『阿倍比羅夫』が浮かんだ。
碑文を読み、やや混同しながらもとりあえず納得させた。
そしてこの記事を書き上げるときにもう一度調べながら書いています。
うーん、ややこし。
サクラサクラ [歴史と出会う]
余程、ラテ欄を見ていなかったのか
家に帰り、テレビのチャンネルを一周させようと思ったけど、つけた瞬間にペリリューの特集がNHKで組まれていた。
冒頭からナレーションの文言に憤りを感じたけど、それ以上に初めて見るカラー映像にしばし見入ってしまう。
恐らく白黒フイルムからデジタル処理を施したのだろうが、よくこんな映像が残っていたと驚く。
裏目、恨雨、安曇野へ(6) [紀行]
穂高神社、参拝して拝殿に向かって右側、穂高駅の方へと歩いてきました。
すると、ポツポツと雨が降りだしている曇天の中、キラッと光る・・・
ん?道祖神!?
安曇野と言えば道祖神
有名どころといえば、NHKの朝ドラ「水色の時」の道祖神。
これは大王わさび農場のそばにあるから、後で行ってみよう。
他に常念道祖神。
写真が無くて申し訳ありませんが、常念岳を背景に両脇の桜を従えた道祖神。
桜の季節にはコレだ!という景色。
今度は桜の季節、「晴れの日」に行きたいな。
他にもカラフルな道祖神もあります。
で、目の前のピカピカの道祖神は
平成25年、厚生労働省により全国平均寿命が男女ともに長野県が一位となった事を記念して建立されたもの。
知らない世代 [ライフ]
仕事を終えて帰宅。
缶ビール片手にリビングのテレビを点けると、日航機事故に関する特集が放映されていた。
僕にとってあの事故の日は今でもよく覚えている。
同級生の家族も犠牲となった。
生存者が見つかった時のことも覚えている。
グッモォォォォォォォォォォニング ベトナム [映画]
美しい景色
淡々とした中から滲み出す、戦争というものの悲惨さ
残念ながら、一度観たきり見返したことが無かった。
それを悲しいニュースで思い出させるなんて・・・。
合掌