そうだ、京都歩こう(27) 振り返る [紀行]
2014年の年末、空模様と自分自身に相談しながら日帰りで訪れた京都。
ゆっくりと記事に起こしてきたら1ヶ月が経過し、そろそろまとめないと2月になってしまう。
訪れた場所は各々の記事を読んでいただくことにして、ここでは全体的な事を簡単に書き記して終わりにしたいと思います。
そうだ、京都歩こう(26) タイムアップ [紀行]
大徳寺さん山内、拝観可能な塔頭は全て拝観時間を過ぎました。
再び北大路通りに出ます。
適当に歩いて、私の知らない京都らしい場所にめぐりあいたい。
そう思うのですが、雨がしっかりと降り出しています。
歩いている人の殆どが傘を開き始めました。
思い出したように指のぱっくり割れが痛み出しました。
とりあえあず、駅方面へ。
無意識にカウント [ライフ]
ちょくちょく、外回り中にお菓子など買って、職場に持ち帰ります。
自分の舌だけでなく、その方面には長けている職場の連中から感触を得て、これなら得意先に持っていけるというアイテムを探し出すために。
で、なるべく意識しないようにしているんだけどね。
そうだ、京都歩こう(25) いずれの御時にか [紀行]
大友宗麟の菩提寺、瑞峯院を出ると覚悟はしていましたが、そぼ降る雨と拝観には厳しい夕刻の時間。
大徳寺さんには拝観可能な塔頭が4つありますが、2つしか入ることが出来ませんでした。
移動したとしても、京都市内の多くのお寺さんではライトアップの季節でもないのでもう入ることが出来ないと思われます。
そういえば、先程、三門付近で畠山義元・大友宗麟・紫式部の名前を目にしました。
という事は、瑞峯院さんを出て近くに紫式部ゆかりの場所があるということですよね。
そうだ、京都歩こう(24) お庭に隠された十字架 [紀行]
大徳寺さんの塔頭の中で公開されている4つの塔頭の一つ、瑞峯院さんへ。
キリシタン大名として歴史の勉強でも習った、大友宗麟(義鎮)の菩提寺であり、夫人とともにお墓があります。(お墓は大分/津久見市にもあります。)
さて、細かい雨はまだ降っており、陽は雲に隠れていますが徐々に夜が近づいてきています。
そろそろ拝観時間が設定されている場合、その終了となる時間帯です。
大徳寺山内ではこちらが最後になるかな・・・
そうだ、京都歩こう(23) とんちんかんちん [紀行]
大徳寺山内を巡っています。
順序が入れ替わっていますが、お庭が有名な大仙院さんを訪れる前に隣接している真珠庵さんも覗いています。
前述の通り、大徳寺さんは本坊もそして塔頭の多くが非公開です。
真珠庵さんもやはり非公開。
開祖は一休さんで有名な一休宗純。
永享年間(1429年~1441年)に創建されましたが、応仁の乱で焼失。その後、1491年に再建されました。
そうだ、京都歩こう(22) 禅 大仙院 [紀行]
さて、大徳寺の塔頭の中で公開されている4つのうちの一つ
大仙院さんへ向かいます。
今日、何度かあった選択肢の中でやっぱりあの石庭を見たいという気持ちがありたどり着きました。
もうすぐ拝観終了の時間が迫ってきており、ホッとしております。
そして、今回の京都散策のクライマックスが大仙院さんだったと言えます。
ブログ更新、したくない。 [ライフ]
去年の今頃、松下村塾に行っていたんですよね。
でも、萩ではなくて世田谷の松蔭神社の中にある模造ですが。
萩を訪れたのは高校の修学旅行の時以来行っておりません。
京都には行ったから、今度はもっと久しぶりの萩・津和野かな。
こうやって口に出すと、だんだんと行かなくてはいけないって気持ちになるし(笑)
そうだ、京都歩こう(21) 一休さんに沢庵、茶の湯 [紀行]
鹿苑寺を出ると、目の前は大混雑。
そろそろ宿泊する旅人はチェックインをしていてもおかしくない時間となってきました。
鹿苑寺(金閣寺)からの交通手段で最もポピュラーなのはバスであり、京福電気鉄道の北野白梅町駅からだと、嵐山方面に行くならいいが、京都駅方面に行くには便利と言えない。
市バスのバス停、金閣寺道には多くの路線が乗り入れており、慣れない人はどれに乗っていいのか迷っているもよう。
それを尻目に北大路通りを歩き始めます。
前の記事にも書きましたが、鹿苑寺から次に目指す大徳寺までの歩きが疲れで足の運びが悪くなりました。
始発の新幹線に乗るために早起きする必要が有り、睡眠時間が3時間ちょっとというのが効いてきました。
そして、落柿舎を出た時から気になっている指のパックリ割れが痛くて、痛くて。
で、絆創膏を買おうと思っていたけどこれまでコンビニを見かけることが無かったのです。
鹿苑寺を出て、北大路通りを歩いていると通りの向こうにローソンは見つけるけど、こちら側にはなく、まあ歩いていればいつかこちら側にあるだろうと歩き続けると、大徳寺さんに到着しました。
相変わらず地図は見ていませんが、ここでしょう。
そうだ、京都歩こう(20) 金閣寺 その3 [紀行]
安民澤を左手に見ながらだんだんと高台に上がってきました。
そして右手を見ると開けた風景が。
舎利殿の三層が目線までやってきました。
団体観光客のガイドさんが
「金閣が見られるのはここで最後になりまーす」
とのこと
成程、もうちょっと撮ろうか。
そうだ、京都歩こう(19) 金閣寺 その2 [紀行]
随分と鹿苑寺 金閣(舎利殿)に接近しました。
見る角度がちょっと変わると、『顔』が随分と変わりますね。
本当に綺麗です。
海外の観光客も日本の寺院目的の方も多いようですが、やっぱり金閣のインパクトは絶大なようです。
20年 [ライフ]
20年という時間を長いと感じるのか、あっという間に感じるのか。
それは、阪神淡路大震災とどう関わったかで変わるし、一人の人間の中でも長く感じたり、あっという間に感じたりします。
東日本大震災の時は私は実際に大きく揺れ、所謂帰宅難民となり、外回り先から会社へ、そして会社から自宅へと歩いて帰りました。自分の目で直に混乱した街を見て遠くオレンジ色に燃える夜空を不安になりながら見つめ歩きました。
それに対して20年前の阪神淡路大震災の場合、私自身が揺れたり直接的な身の危険を感じることはありませんでした。
ただ、その日は親の手術の日だったこと、そして神戸に自分が勤める会社の施設があり、離れた場所でしばらく状況がつかめなかったこと。だから、あの日のことは他の大きな震災と比較しても深く心に刻まれています。
そうだ、京都歩こう(18) 金閣寺 その1 [紀行]
龍安寺さんから、再びきぬかけの路を歩き鹿苑寺を目指します。
約1km程度の距離ですが、きぬかけの路は多少のアップダウンがありそうな事と、早起きして歩きメインで移動してきた疲労感が出てきたようで鹿苑寺の入口が見えてきたときにはホッとしました。
さて、貼ってある写真は既に境内に入っておりますが、これより前、通りから中に入るところには沢山の沢山の沢山の海外からの観光客を中心に「鹿苑寺 通称 金閣寺」の看板の前で記念撮影をしていました。
そんなごった返しを尻目にどうにか総門に到着します。
そうだ、京都歩こう(17) 龍安寺 つくばい [紀行]
龍安寺さんの方丈、裏手に回ります。
前のエントリーにもありますように前庭には沢山の観光客が並び、座り、見えない何かを探しているようです。
非公開の仏殿へと続きます。
昭和56年に建てられた物だそうです。
龍安寺さんも火災の歴史。
応仁の乱だけでなく、1797年にも火災が発生し伽藍のほとんどを焼失してしまいます。
仏殿も昭和56年まで再建されませんでした。
尚、方丈も火災の後に塔頭より方丈を移築したものです。そこに狩野派の襖絵があり一緒に移されました。
そうだ、京都歩こう(16) 龍安寺 15個の石は見えるだろうか [紀行]
さて、公開されている仁和寺の本坊見学を忘れて歩き出しております。
京福電気鉄道(嵐電)を使わずに歩き始めたのは、地図を見た記憶では十分に歩けそうなこと。
そして、御室仁和寺駅から2駅乗って、龍安寺駅に向かっても駅から北上、そこそこ歩きます。
ならば、仁和寺さんから歩いてもあまり変わらないだろう。
そして、歩き始めた道は『きぬかけの路』と名付けられていました。
仁和寺から金閣寺まで続く市道ですが、宇多天皇に関係する故事にちなんで公募で決まった名前だそうです。
車の通行量は多いのですが、歩道も確保されております。
大徳寺さん周辺よりは歩いている人は多かったですね。
さあ、1km位(あくまでも私の感覚)で龍安寺さんの入口が見えてきました。
そうだ、京都歩こう(15) 仁和寺にある私 [紀行]
さあ、お昼ご飯を食べ終わって京都弾丸カメラぶらぶらツアーを再開します。
まずは二王門。(仁和寺さんの公式HPでは仁王ではなく二王となっています)
大きいねえ。高さは18.7mあるそうです。
石段を昇っていくのですが、ここで初めて慢性化している膝の痛みを思い出しました。
今まで歩いている際に気になることはありませんでしたが、休んだから乳酸が出始めたかな。
その阿形像。
カメラを持って、お寺さんを訪れる機会は増えました。
そして二王(仁王)像を見る機会も増えましたが、ガラス越しや金網越しのケースが多い。
こうやって、直に見るとダイナミックですね。
そうだ、京都歩こう(14) 嵐電 [紀行]
大覚寺さんを出て、次の目的地へ。
今回の紀行シリーズのタイトル通り、歩ける範囲なら歩いちゃえ。
と、思っていました。
前回の真夏の京都、サイクリングの旅も面白かったのですが、観ようと思って訪れる場所ではなく、歩きながら偶然たどり着いた風景もいいな、そんな風に思っておりました。
方向音痴ではなく、何となく思った方へ行けてしまうのですが
今回、清凉寺さんから大覚寺さんまでの距離感がちょっと違った。
いや、問題なく歩ける距離なんですが思ったよりは歩いた。
と、いうことはこれから向かおうと思っている場所も思った以上に時間が掛かるのではないか?
偶然たどり着くという醍醐味も良いけれど、観たいと思った場所を廻る事も出来ないというのも残念だからね、ここでも選択を迫られ、選びました。
嵐電に乗って移動することに決定。
1km半位歩いて嵐山駅に戻りました。
そうだ、京都歩こう(13) 旧嵯峨御所 大覚寺 その2 [紀行]
広く、多くの諸堂が廊下で結ばれた大覚寺さんを巡っています。
お寺さんなんですが、もともと御所であることを十分に感じております。
さて、大沢池を眺めた後、再び御影堂を通って見えてきたのが勅封心経殿。
大正14年に法隆寺の夢殿を模して再建されたもの。
殿内には嵯峨天皇、後光厳天皇、後花園天皇、後奈良天皇、正親町天皇、光格天皇の60年に一度しか開封されない勅封心経と薬師如来像が奉伺されているそうです。
次回は平成30年。
さらに、嵯峨天皇が弘法大師の勧めで般若心経を書写されたのが818年。60年に一度の戊戌の年に開封されますが平成30年(2018年)は1200年目にあたります。
志村!後ろ!後ろ!後ろ!! [ライフ]
昨日、外回りから会社に帰る途中
地下鉄のコンコースを歩いていました。
仕事を終えて、家に帰る人で徐々に混み始めていました。
そして、駆け足で改札の方へ向かう女性。
私を追い抜いて、ちょっと前の方で・・・
恐らくカバンからポロっと大きめの財布が転げ落ちる。
そうだ、京都歩こう(11) 清涼寺 [紀行]
落柿舎を出て、しばらく歩きます。
次の目的地までは地図も見ずに歩きます。
落柿舎の周りはのどか。
「小倉」百人一首の小倉。
小倉は別な意味でも有名ですね。
小倉餡。
落柿舎のある辺りで中国から持ち帰ったあずきを栽培し、砂糖を加え煮詰めたのが献上したのが小倉餡の由来とのことです。
そんな説明板を見て次の目的地まで歩くと気になることが。
左足の膝はもう長い間慢性的に痛むのですが、この日は今のところ全く問題なし。
問題なのは指。
手の指なんです。
特に右手親指にパックリ割れが出来て痛い。
出かける前に保護用のフイルムを貼って出てきましたが、力強く一眼レフの親指フォーカスをしていたせいかすっかりズレてきています。
まあ、シンプルに絆創膏を貼ろうと思ったら・・無い。
あれ、用意したのに無い。
多分、家のこたつの上だろうな。
指を気にしながら地図も見ずにカンで歩きます。
そうだ、京都歩こう(10) 時代を超えた落柿舎に関わる様々な人達 [紀行]
さて、今回の紀行記事に度々登場してきた施設、『落柿舎』
やっと到着しました。
25年前にも訪れた、松尾芭蕉の門弟、俳人向井去来の遺跡です。
畑越しに見た落柿舎は25年前と全く変わっていない気がしたが、そばまで来て分かりました。
綺麗になっている。
どうやら改修工事があったようです。
25年前、渡月橋のそばで借りた自転車に乗って到着した際には、おおお!いい雰囲気に古いなぁと思いましたが、今回はアンティークだけど小奇麗(笑)
25年前の嵐山・嵯峨野訪問時の中で強烈に印象が残っているのはなぜだろうか?
国語が苦手ながら、一句ひねって投句したからなのか?
果たして駄句は季刊誌「落柿舎」に掲載されたのだろうか?
今回、季刊誌「落柿舎」214号を頂きました。
こんな風に掲載されたのかなぁ。
と長年想い続けていました。
ん?
庭内の投句箱に入れられた全国の俳句から収録しました。掲載句は自宅へ郵送します。
と季刊誌に書かれている。
ああ、これまでずーっとずーっと、秀句まではいかなくても佳句に選ばれたかもしれない・・・という妄想は潰えました。
そうだ、京都歩こう(9) 仮庵・刈穂 レリゴー [紀行]
野宮神社のすぐそば、山陰本線の踏切のそばに記憶のないエリアがありました。
野宮広場。
小倉百人一首文化財団と京都商工会議所の合同プロジェクトとして百人一首の歌碑、当然100基を嵐山・嵯峨野地区に設置したそうです。100基の設置が完了したのはもう7年前のことらしいが、私がここを訪れたのは25年前。知らないのも当然か。
我が家にも百人一首のかるたがありました。
このブログで散々申し上げておりますが、とにかく学科の中で国語が苦手。百人一首かるたも散らし取りよりも坊主めくり専門でした。
それでも歌を覚えよう。
そう思ってまず覚えたのが天智天皇の歌。(当然の結果かもしれませんけどね)
秋の田の かりほの庵の苫をあらみ 我が衣手は露にぬれつつ
覚えていた。
目の前の広場に百人一首の歌碑があると知り、ちょいと覗く。
何となく惹きつけられる歌碑に近づくと・・・一発ツモ。
歌碑はこの広場だけでなく亀山公園や嵐山東公園など別の場所にもあります。ここに天智天皇の歌が必ずあるとも知らずにね。
そうだ、京都歩こう(8) 野宮神社 [紀行]
天龍寺さんの北門から歩いて数分。
野宮神社(ののみやじんじゃ)に到着しました。
野宮神社さんを訪れるのは25年ぶりです。
写真を見ていただいて分かる通り、縁結びの神社として有名。
昨今のパワースポットブームも相まって、特に女性の参拝者が増えたと雑誌で読んだことがありますが、まさにその通り。
25年前よりも随分と賑やかです。
そうだ、京都歩こう(7) 竹林を抜けて [紀行]
天龍寺さんの庭園を抜けて、北門を出るとすぐそこは竹林のトンネルの入口です。
京都嵐山・嵯峨野地区の観光スポットとして有名となりました。
竹林の小径
実は訪れるちょっと前、12月12日~21日まで京都・嵐山花灯路というイベントが行われていました。
今回は10回目という節目の年でもありました。
残念ながらその時期に訪れる事はできませんでしたが、もしライトアップされた時期に来る事が出来たとしても混雑して、公式HPで見るような竹林を静かに観る事はできず、人・人・人を眺めることになったでしょう。(と、悔しい気持ちをひた隠し)
そうだ、京都歩こう(5) 天龍寺 曹源池庭園へ [紀行]
さあ、また大きな三角形。
先程訪れた塔頭の庫裏とは大きさが違う。
大きさと言えば、天龍寺さんの境内の広さも今私が知っているそれと、以前のそれとでは全然違うらしい。
950万平方メートル程度あったらしい。
950万平方メートルって、どれくらい広いんだ?
日本でも著名な広さを表す単位、東京ドーム何個分で換算してみようか?
東京ドームの建物面積は46,755平方メートル。
うーん・・・・203個分だ。
これってわかり易いの?
参拝する上で参拝料を納めます。
庭園は大人500円。
大方丈、書院、多宝殿参拝の場合、上記+100円。
仏堂の雲龍図 特別公開は別に500円。
雲龍図については、この日は公開されていませんでした。
さて、先程は時間的制約があり後ろ髪引かれながらパスしなくてはならない施設があると書きましたが、それ以外にも金銭的理由も加味されます。
これから色んなところを見て回りますが、多くの場所で参拝料をお納めします。
時間と金銭的理由も考慮して、まずは諸堂参拝はパスして外環のみに。
そして有名な庭園は見ようと思います。
庭園は見るだけでなく、別にも理由がありますが、それは後ほど。
そうだ、京都歩こう(4) 天龍寺へ [紀行]
渡月橋を往復し、天龍寺さんへ
前の人につられて中に入っていきますが・・・総門ではなく、駐車場入口から入ってしまいました(涙)
それに気がついて、軌道修正しましたが
天龍寺 勅使門
前回の京都訪問の際にもちょいと調べるたびに登場するキーワードがあります。
「応仁の乱による焼失」
それ以外にも火災は度々発生し、かなりの建物が失われているのです。
天龍寺さんの建物も同様で、このお寺さんの中では最も古い建築物の一つです。
天皇からの勅使がやって来る時のみ開かれた門。