新撰組 千駄ヶ谷編 [新撰組]
大河ドラマで放映された「新撰組」
本棚で眠っていた幕末の書籍を読み直しました。
新撰組に縁のある場所が結構身近にあります。放映当時、色々と訪れていますのでご紹介しています。
前回、多摩・日野地区を巡りました。初期メンバーの出身地であり、且つ眠る場所でもあります。
今日は沖田総司ゆかりの場所に行きます。
沖田総司に関してはファンも多く、今でも熱く語られてます。
沖田総司終焉の地も諸説あり、その中でも浅草の今戸とこの千駄ヶ谷が有名。この2説でもどちらかというと千駄ヶ谷説の方が有力です。
外苑西通りにある「橋」に見える場所。
ココが池尻橋のあった場所という人が多いですね。僕もここを訪れた際にここが池尻橋だと思って周辺を巡ってました。
労咳に倒れ、江戸に戻った沖田総司は負傷した近藤とともに松本良順に治療を受けたがその後植木屋平五郎の離れで隠匿生活をし、近藤の死を知らないまま近藤を追ったという。
その植木屋平五郎の離れは渋谷川の池尻橋のたもとにあったという。
この外苑西通りの欄干から覗くとこのような光景が見える。まずは東側。
もうちょっと引いてみよう。
この子供達の遊び場(にしては薄暗くて怖い・・・)は良くみると川の流れに見える。
では西側を見てみよう。
東側の大京町遊び場(これ正式名称でした・看板あり)の流れを外苑西通りを貫くとここにつながります。
これが渋谷川らしいです。
それで、さっきの橋が池尻橋でなければどこが池尻橋?
色々詳しい方のサイトを見てみると(沖田総司に詳しい方のサイトではなく川に詳しい方のサイトでした)この西側、新宿御苑の玉藻池のそばにあったと言われてます。
ちなみに植木屋平五郎の本宅はさっき遊び場のあった東側にあった模様です。
今戸説と千駄ヶ谷説ですが、二箇所廻った後考えてみると、この千駄ヶ谷は昔は深い緑に覆われていたところ。一方今戸は浅草。薩長土肥に目の敵にされた新撰組の沖田総司。身を隠すならやはり千駄ヶ谷の方かな・・・。
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