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僕の生きる道 母の涙 [中村先生と共に生きる人々]

2003年の1月に放映されたドラマ「僕の生きる道」

とても丁寧に作られたドラマで構図や光、音楽は静と動を見事に表現していました。

そして、もう一つ。台詞の一つ一つが胸にうつものがあり、心の残る台詞を挙げろと言われたらいったいどれを推そうか迷うくらいです。

前回の記事、「知ってるかい?僕の生きる道」が予想外の閲覧記録が出ていました。以前観ていた人が思い出したのか、それともまだ観ていない人が興味を持ったのか?

もう、観たという人は僕が何を書いても、登場する人物像は知っていると思いますがどうぞお付き合い下さい。

まず、最初は誰にしよう。

スキルス性胃癌により余命1年を宣告された高校教師、中村秀雄の母、中村佳代子。

夫を亡くし、高校教師の一人息子が独立して以来、韮崎の実家でひとり暮らしをしております。たまに帰ってくる息子の帰郷を楽しみにしている様子はドラマ内で週末に帰ることを告げると晩御飯を肉にするか魚にするか聞いてくるあたりで感じます。

しかし、中村先生の帰郷の理由は病気のことを告げるためでした。

同僚であり、恋人関係でもあった秋本みどり先生の突然の帰郷同行のため、佳代子母さんは婚約者の紹介と勘違いしています。明らかに喜んでいる佳代子母さんに本当のことを言えなくなってしまいました。

中村先生とみどり先生は翌日、実家を後にして横浜へと帰って行きます。帰り際、佳代子母さんはみどり先生に深々と頭を下げて「秀雄をよろしくお願いします」と言います。

何も知らない佳代子母さんの事を思うと中村先生もみどり先生もつらくなってしまいます。

でも、佳代子母さんも息子の様子がおかしいことに気がついていました。命に関わる病気だとは思っていませんでしたが、母親独自のレーダーが息子から発信される悲鳴を捉えていたのです。

中村先生とみどり先生はその後、周りの人々の暖かい支援のもと結婚を決意します。そして、中村先生は実家の佳代子母さんに病気の事を告げます。中村先生のそばにはみどり先生がいて、手を添えて中村先生に勇気を与えます。

ドラマは第7話「間違われた婚約者」のエンディングに差し掛かります。それまで台詞が交わされていましたがBGMだけになります、実家で背中を丸めながら全てを聞き続ける佳代子母さん。中村先生に言葉に耐えながら頷き続けます。

この映像直後、次放送より僕はこの番組を正座して観る様になります。

 

夫を亡くしたあと、今度は自分より先に息子を亡くすという耐え難き事を背負っていきます。

これからの佳代子母さんはひたすら裏方で息子とみどり先生を支えていきます。限られた時間を夫婦だけですごさせる為、佳代子母さんはその時が迫る迄実家から出てくることはしませんでした。みどり先生の父親が結婚に反対しており、結婚式に参加してくれそうもなく佳代子母さんも式には出席しませんでした。

 

そして息子が最後まで教師として人間として行き続ける為に、佳代子母さんは苦渋の決断をします。

 

佳代子母さんは自暴自棄になっていた息子を知らないうちに救っていました。

中村先生は佳代子母さんに自分が生まれた時どう思ったか聞きました。佳代子母さんの答えは

「うん。・・・やっと会えたって。それから・・・この子のためなら、自分の命は捨てられる。そう思ったかな ― 」

この言葉に余命1年を宣告された中村先生は最後まで生き抜く事を決意します。

佳代子母さんは息子の為なら自分の命は捨てられる。だが、病気を変わってあげることは出来ない。彼女の苦しみはずっと続いていきます。

中村先生は自分の最後の時を知り、佳代子母さんに最後の話をします。

「・・・ありがとう   ありがとう、母さん・・・」

 

 

日付が変わってしまいましたが、昨日は父の日なんですけどね・・・。両親に感謝!


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