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新撰組 試衛館編 [新撰組]

大河ドラマ「新撰組」放映直後から幕末関連の書籍を読み漁りました。

そして気がついた。結構、身近にゆかりの場所がある。

放映当時、色々行ってきました。ご紹介します。

 

 

近藤勇の養父、近藤周介が開いた天然理心流の道場が試衛館。

その場所は諸説あるが、ここが最有力。

市谷甲良屋敷内にあったのだが、番地など色々言われていた。

大河ドラマの放映後に「試衛館」跡

ここに決まりです。

路地の奥に祠があります。

勇も歳三も源さんも総司も手を合わせたのかな?


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コメント 2

南風

maebooさん、こんばんわ。
いつも、綺麗な写真を拝見させていただいています。自然の中の遠景の風景や、闇の中にライトアップで浮かび上がる建築物には何かしら切ない気持ちにも癒される気持ちにもなります。気障に云えば孤愁というものを感じます。

新撰組の物語にも孤愁というものが漂っていますね。敗北の美学のようなものを感じます。
彼らには不明なことが今なおたくさんあってかえって魅力がつきません。


ここの記事にある「試衛館」の名称も実は史料的にこの三文字は確認されていないそうです。その上「試」は、「誠」の誤読ないし誤記ではないかともいう説があります。確かに字をくずす書体だと「試」と「誠」はよく似ています。その上「試衛」の意味が分かりません。
仮に「試衛館」とした場合でも、「誠」の旗印は、旗が風にはためく時「試」の字に見えるような効果も狙ったんじゃかという説もあります。それくらいあの時代には「誠」の一文字が唐突だったように思えます。
主筋に当たる会津藩も藩名の一字目の「会」を旗印にしていますし、「誠衛館」説もなかなか捨てがたいように思いますねぇ。
by 南風 (2009-03-31 00:04) 

maeboo.

南風さん、こんばんは
この頃の写真は酷いんですよ。古い携帯のカメラですから。
なのでまた撮りに行きたいですね。

「敗北の美学」ですが、今読んでいる本(器用なのか、馬鹿なのか併読しているのでなかなか読みおえないのですが、戊辰落日の後編を読んでいます。)ぬるま湯のような江戸時代の中で戦国の気質を失わなかった、だからこそ悲劇的な運命をたどった会津藩のことを重ねていました。容保さんもそうですが、家臣そしてその家族の話・・・。

試衛館と誠衛館。どっちが正しいか?色んな根拠を探し出し、想像してみるのが歴史の醍醐味なんでしょうね。

新撰組の旗印は、磐梯山とよく言われますが、会津は武士の階級制度が事細やかに決められていて紐制(羽織の紐の色)、襟制など色によって見た眼で一発で分かるようにしていますね。

浅黄色は紐制において中士の中で最下級。
でも襟制の下士と比較したら絶対的存在。
何となく、新撰組の位置づけから見れば、あの浅黄色はそれに関係するのでは・・・と勝手に思っています。(いや、とっくにそう考えられている方がいるのかもしれませんし・・・)

はっきりしていないことがあればこそ、妄想出来るから、楽しい。
by maeboo. (2009-04-01 00:16) 

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