終戦・・・ [歴史と出会う]
僕は戦争を知らない世代ですが、それなりに本は読んだつもりです。
僕らより若い世代では段々、日本がどこと戦ったのか知らないという人も珍しくなくなってきたようですが、僕らの世代、いやそれ以上の世代でも終戦と同時に戦闘は終わっていると思われている方が多いようですね。
意図的に今日も会社でその話をしていましたが、一部の人しか8月15日以降の戦闘を知りませんでした。
日本が無条件降伏を前提とした停戦合意をしたことを知らなかった。というのは満州など世界各地でありましたが、今申し上げているのはそれとは異なり、日本軍が武装解除命令に従ったにも関わらず、敵が意図的に攻めてきたものです。
その相手はソ連で、戦闘が行われたのは千島列島であり、樺太です。
対日政策で遅れを取っていたソ連は8月8日に対日宣戦布告をし、北海道北部を領土化することを目標とします。その為には南樺太・千島列島を占領し、北海道まで戦線を延ばす必要がありました。
8月15日を過ぎても、アメリカの忠告を無視しソ連は侵攻を続けます。
武装解除していた日本軍も侵攻してきたソ連に対して、交戦します。
千島列島の占守島(しゅむしゅとう)にソ連は強襲上陸をします。日本軍は強大な敵に水際で食い止めます。戦車第十一連隊(通称士魂部隊・・・池田戦車隊)の玉砕戦など日本軍の奮戦によりソ連の侵攻を食い止めました。この戦いにおいては日本軍は勝利しました。この対戦が日本軍の最後の勝ち戦かもしれません。
同時に樺太でも戦闘は行われています。10日以降続いていたソ連の侵攻は8月15日を過ぎても続きました。鉄道などで民間人の脱出を図る為に陸軍と警察、地元民間人の徹底抗戦で侵攻を食い止めました。この戦いで半数以上が亡くなっています。
そして、昨年(ん?一昨年か?)知ったお話。
南のひめゆりは有名ですが、北のひめゆりのお話。
樺太南西部の要港の町、真岡。
引揚げ船が出る港町であると同時にソ連軍が北海道を攻めるならこの港からになるでしょう。
8月20日にソ連が艦船にて砲撃、上陸します。引揚げ船を待っていた民間人、その多くが婦女子でしたが機銃を乱射され、約1000人の命が失われています。
この真岡には電話局があります。戦闘が始まってもその詳細を伝える為に9人の女性が局に残って職務に殉じます。そして、ソ連軍が迫ってきたことも通信します。
内地の皆さん、稚内電話局のお友だちに申し上げます。
只今ソ連軍がわが真岡電話局に侵入いたしました。
これが樺太から日本に送る最後の通話となるでありましょう。
私達9人は最後まで、この交換台を守りました。
そして間もなく、9人そろってあの世に旅立ちます。
ソ連軍が近づいております。足音が近づいております。
稚内の皆さん、さようなら、これが最後です。
内地の皆さん、さようなら、さようなら、、、
別の交換台でこの通信を聞いた女性は「ダメよ、生きるのよ」と絶叫したそうです。9人の北のひめゆりは青酸カリで自殺しました。
もっと知りたい方は「氷雪の門」もしくは「北のひめゆり」で検索すれば多くの記事にぶつかることでしょう。
もし、占守島で樺太で真岡で日本人の奮闘が無ければ北海道の半分はソ連の領土となっていた可能性があります。ベルリンの壁のようなものが出来たかもしれません。
ソ連がどうのこうのとか、日本がどうだとか、北方領土がどうだとか、皆さんがそれぞれ思うことがあると思います。
僕も色々思う事はありますが、知らない事が多すぎます。知らないまま、決め付ける事は避けるためにももっと勉強します。本を読みます。そして、去年に引き続き今年もしております。
ちょっと8月15日=終戦記念日という言葉に引っかかっていたものでブログに書きました。
ニュースで見たけど、今日が何の日か知らない若い子もたくさんいるみたいだね。
戦争を否定するのはいいけど、なにが起きたのかを語り継ぐのは大事だよね。
今日、こころを連れて本屋へ行ったんだ。
光人社NF文庫の本を買いたくてね。
街で一番大きな本屋なのに(全国チェーン有名店)このての文庫の揃えが少なくなってるんだよね・・・前に比べると。
店員さんも「最近は購入される方も少ないですしね~」とは言ってたけど・・・ちょっとね。
寂しい気がしたよ。
あっちでは、なかなか買えないんで、まとめ買いしたんだけど・・・
その中の1冊「本田稔空戦録」を読んでビックリ!!
この著者さん、僕の地元の人でした!!
文中に、金○山と近所の地名が出てきて二度ビックリしてます。
by とうちゃん (2006-08-15 23:34)