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一式陸攻 [歴史と出会う]

昨日のかずさんのコメントでも頂きました、そして以前「手紙」というタイトルで記事を書きました、単発ドラマ「硫黄島 戦場の郵便配達」が放映されて、拝見しました。

事前に公式サイトや番宣を観ていなかったのですが、本当の市丸さんの家族写真や根本正良さんのペアの写真と同じように役者さん達が撮影していましたね。

ドラマ部分以外に、ドキュメンタリー的要素もあり、海軍司令部に初めてテレビカメラが入ったと言う事もあり、全部拝見しました。

ドラマの感想は、色々ありますが映画も公開されましたし、硫黄島を知らない世代も興味を持つことはとてもいいことでしょう。
私も知らなかったことがいっぱいありました。太平洋戦争開戦の日に近い放映でもあり、また勉強しました。

市丸さんは知っていましたが、一式陸攻のパイロットの根本さんの事は知りませんでした。(ちなみに根本さんの息子さんは議員さんで、安倍総理の補佐官ですね)

ところで・・・昨日放送を観て一式陸攻を初めて知った方もいらっしゃいますよね。一式って何?という方もいますよね。この表現で有名なのは零式戦闘機(れい戦:ゼロ戦とも言われています)。

この漢数字は年号を表しています。西暦ではなく、神武暦(皇紀)なんです。

零式戦闘機の正式採用が1940年(昭和15年)です。皇紀にすると皇紀2600年。一式陸攻は1941年に正式採用された攻撃機なんです。じゃあ、皇紀2600年以前に採用された場合は・・・?一式陸攻以前の攻撃機は九六式陸攻で、皇紀2596年に正式採用されています。皇紀の下二桁で表現しているんですね。

硫黄島の兵隊さんの小銃の主力は三八式歩兵銃(海軍では三八式小銃)。この三八は皇紀ではなく、明治。
・・・ということは・・・この小銃が正式採用されたのは・・・明治38年!!

明治時代に正式採用された小銃で戦っていたんですよね。三八式以降に採用された小銃もありますが、生産が追いつかないし、三八式の方が扱いやすかったらしいです。でも、それで生産大国アメリカのセミオートマライフルに挑むのですからね・・・。


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コメント 2

エド K.

「硫黄島 戦場の郵便配達」を私も見ました。

一式陸攻は連合軍にBettyと呼ばれていた飛行機ですね。 根本さんが乗っていた一式陸攻は電探(レーダー)が先端部に装備され、弱点だった燃料タンクに防弾設備まであった。

グアム、サイパンなどの防衛に「アウトレンジ」作戦で挑んだマリアナ沖海戦で日本は敗れた。そのため本来日本領である硫黄島の支援は、制空権を無くしているので、本土から航続距離の長い一式陸攻を飛ばすしかなかったのですね。 3回飛んだフライトで後の2回は夜間飛行にならざるを得なかった。

あのすごい対空砲火(英語ではflakと言うのです)の中で良く生還できたものですね。

ドラマの最後に市丸少将の「ルーズベルトに与うる書」の原文がアメリカに保管されているのを見て感動しました。 敵ながら良く保管してくれていたものですね。
by エド K. (2006-12-10 23:15) 

maeboo.

エド K.さん こんばんは
本当に米軍が撮影した根本さんの一式陸攻が硫黄島上空を飛んだときの対空砲火の写真は凄かったですね。
湾岸戦争の際にもバグダッド上空の対空砲火の映像を観ましたが、比べ物にならないですね。本当によくもご無事で・・・。
by maeboo. (2006-12-11 22:18) 

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