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夏休み [ライフ]

 

「夏休み」

小さい頃、「夏休み」といえば甘美な響きがあったのに、今は・・・。

大学生の頃は2ヶ月あったものだが、働くようになり、勤め先では有給使って交代で休みだから毎年3連休を取るのも四苦八苦な状態。

と、いうことで夏休みを振り返ってみようかな。

 

幼稚園の夏休みは記憶が無い(笑)

はっきりと記憶があるのが小学生。

関東圏の標準的夏休みなので7月21日から8月末まで。1日だけ登校日があったけど、家族旅行など予定があれば仕方が無い・・・。まあ、級友に会いたいから私は必ず出席していましたけどね。

もう7月になったら、脳内でカウントが始まり家族旅行(まず、父方の田舎への帰省)に嬉々とし、与えられる宿題の量に愕然とする。

よく話題になる事だが、宿題はいつやるか?

さて、私ですが・・・意外や意外。早々に始めます。夏休み始まる前から手をつけちゃいます。

しかーし。

しかーし。

ドリル系は7月には終わっているけど、「読書感想文」と「工作」はずーっと手つかず。

小学生のころは本を読むのが苦手。だから、感想文を書く以前に本が読めない・・・(笑)

この大物二つは旧盆が過ぎて、田舎から帰ってから、しぶしぶ始めるのが常。

読書は年の離れた姉にケツを叩かれ、工作は父親の創作意欲が前面に出てくる仕上がりとなる。

長い夏休みだけど、級友の殆どは家が近い。

平日以上に遊んでいた。

狭い広場や、分譲前に整地した更地などで普段から野球をしていましたが、夏休みだと『遠征』(自転車で遠くへ行って野球をする)や『キャンプ』(家に帰って昼ごはんを食べることをせず、母親に作ってもらった弁当持参)をしていました。

旧盆の時期になると、父方の田舎へ毎年のように行きました。

小学校低学年までは新幹線で行くことが多かった。
普段、新幹線に乗ることなど滅多にないので新幹線に乗ると言う事は、一大イベントであり、冷水機から水を飲む時に使う折りたたみの紙コップを持ち帰ったりした。

小学校高学年になると、車で帰ることとなる。
東名高速から名神高速を利用する訳ですが、旧盆なのでとにかく渋滞の中にいた記憶が多い。
一度台風にぶつかり、静岡県内で波が道路まで打ちつけるので通行止め、国道へと電光表示板に出ていた。
指示どおりに国道へ出ると・・・高速道路より海に近かった。却って危険ではないか?

当時、車の故障頻度は今と比べ物にならない位、トラブルが起きやすかった。
今じゃ滅多に起こらない、オーバーヒートを起こした。
日本坂トンネルを過ぎたあたり。
あの時は田舎まで遠かったな。

突然の雷雨に襲われて、前が全く見えない事態に。
助手席で緊張して前を見つめていた小学生の自分。
道がどう曲がっているのかすら分からない。
親父は小学生の自分に「前のテールランプと白いセンターラインと路側帯のラインを見てるんだ」と話してくれた。
どうにかパーキングエリアに到着して雨宿り。この日も田舎に到着するのに半日以上かかったが、早くに親父を亡くした私にとっては二人きりで一番話したのがこの日だったのではなかったかな?

自分も車を運転するようになり、酷い雨の中運転する度にあの夏休みの帰省を思い出す。
一人で父の田舎へ車で向かうことがあったが、その時にも物凄い雨が降って来た。
営業車に乗って営業している自分としては、そこそこ運転出来る自信はあると思ったけど、あの日を思い出しパーキングエリアに寄った。もしかして、同じパーキングエリアだったのかもしれない。

中学校まで父との帰省は続いたが、自家用車は運転出来る者がいなくなり親戚が乗ってくれることとなった。

 

高校時代。
平日は勉強に励み(・・・・・?)
土曜日は午後からバイト、日曜日もバイト。

夏休みとなると、バイトに入る日数も増える。


高校一年の時からファストフード店でバイトを始めたが、男子は最初は厨房での調理。
ある夏休みの日、カウンター業務をしていた女子の先輩が後ろに来て私を呼ぶ。
何かと思って前に行くと、カウンター越しにハイテンションな女子が4人。激しく手を振っている。
クラスでも仲の良い、クラスメイトの女子だが、とにかく恥ずかしくて早々に厨房の奥に消える。
まあ、その中に気になる女の子が居た頃だったかな。

高校2年の時の8月はアルバイト皆勤賞。勿論、労働基準法の範囲内であり休暇もあるけど、とにかくバイト漬けの夏だった。

その頃になると色んな業務が出来るようになり、調理だけでなくカウンター業務など表側に出る事が増えてきた。
高校2年生の夏。お店の前の清掃をしていると声が掛る。
昨年と違い、今度は一人の女子。
私の名前を呼び、「ユニフォーム似合ってるね」などなど親しげに話しかけてくれる。

・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・

・・・・・・・・

・・・・・・・

・・・・・・

・・・・・

・・・・

・・・

・・

・・・・・・・・・・この子、誰だっけ?

元従業員か?

いやいや、それならユニフォーム似合っているねなんて言わないぞ。

となると、学校だよな。

高校?中学時代?小学校・・・!?

全く、分からないまま過ごす夏休み。

ただ、忙しさにその記憶は薄れていき迎えた二学期。

文化祭の準備が慌ただしくなる頃、廊下ですれ違った制服を着た同級生がやっとシンクロした。

あ、俺のクラスメイトの彼女だ。

わが母校は制服ながら、シャツなど結構自由だった。
私も詰襟の学生服だけど、シャツは色もの、柄物をよく着ていた。
そんな校風の中でも、あまり着崩さない彼女だったので、あの夏の日の私服の彼女をみて気がつかなかったのだろう。
マア、ヒトノカノジョダシ・・・。

そんな事があったんだと、彼女の彼氏であるクラスメイトに言っておこうと思いながら、忘れていた。
思い出したので、そいつに言おうと周囲の友人達に話をしたら腕を掴まれ制された。
夏に別れたそうだ。

そんな高校2年の夏休み。



高校3年の夏。受験の夏と言えば、勉強漬けと思われるかもしれないが、結果的に父と過ごす最後の夏は、前年とは対照的に殆どアルバイトはしなかった。
ファストフードのアルバイトは当時、事前にスケジュールを提出して各日、各時間帯毎の労働力を調整していく。
いつ何があるか分からない身では、事前に提出など出来ない。
ただ、よく売れる店なので、私の事情も知ってくれているので店まで行けば僅かな時間ながら働くことが出来た。

当時高校生という制限の中で出来る事は一応全て出来たし、指導する立場に立っていた。
その日は自分のユニフォームは持っておらず、お店のストックから借用し、『トレーナー』というポジションが明記されたネームプレートも付けずに厨房に入る。

カウンター側の女の子の半分程度は把握しているが、残り半分は知らない子ばかりだ。
夏休みに採用した子たちだ。
厨房に入ると、何と全員知らないメンツ。

ネームプレートに全てのポジションが出来ると分かるシールが貼ってある、男子が近づいてくる。
年齢を聞かれたので、高校3年と答える。彼は私の一つ下だった。
ネームプレートをつけていない私に彼は

「どこまで出来ます?」

と質問され、

「一応全て出来ます」

と答える。

彼が私に与えたポジションは、一番初歩的な場所。

その時のセールスなら私一人でも出来る場所に彼と私ともう一人の三人で取り組むこととなる(笑)

彼も、多少不思議に思っていただろうけど、1時間が経過し、「おはよーございます」と何人かバイトが入って来た。

全員が男子。

その男子全てが、厨房に送られる。

付き合いの長い、後輩が私を見つけて、「あ、久しぶりですね」なんて声をかけてくる。

一年後輩の彼も、トレーナーの昇格目前という立場だった。


社員から厨房から出るように指示が出る。

カウンター業務かな?と思っていたら、『生産指示』だった。

当時、作り置きしていた時代だった。

但し、一定時間を過ぎると処分をしていたので、切らしても作り過ぎてもダメ。

それを調整して、調理をするタイミングや量を指示するポジションだった。

先ほどまで指導しれくれた彼も、このポジションはまだ出来なかった。

彼に、オーダーを入れて調理を促す。

小首をかしげながら調理をしていた。

勿論、そんな状況を楽しんでいた訳で・・・。

後から入った後輩は彼と同学年。

小声でアイツは誰なんだと聞いている模様。

ちなみにアルバイトの休憩室には、何枚か賞状と盾がある。

技術を競う大会が年に一回あるのだが、前年のエリアチャンピオン(当時、日本を6つだか8つに分けていました)として私の名前があったはずだ。そして、その年のチャンピオンがさっき後から来た後輩だった。

辛い中でも笑いを探していた高校3年生の夏休みだった。

 

 

 

大学の夏休みはとても長い。

ただ、高校時代よりも生活の為にアルバイトの量は増やさなくてはならない。

大学も決して近くなく、下宿してもおかしくない距離だが、家庭環境上それは出来なかった。

大学の仲間とは平日はマージャンなどよく遊んだが、前期試験が終わり夏休みとなると大学の仲間とはあまり交流できなかった。
高校時代から続けてきたバイトの方が大学生の夏休みのメインステージとなる。

高校生という制限が取れたので、大学に入って暫くすると本部のお偉いさんの試験を受けて、役職があがった。

ユニフォームが変わり、お客様から見れば、社員なのかアルバイトなのか区別がつかなくなる。

 

高校生の後輩達の夏休みの宿題を手伝ったり、面倒な事に巻き込まれた後輩の為、大学生が高校生を説得したり。

男子より女子の方が多かったので、まあ、サークルのようなノリで過ごせた場所でした。

当時、ファミリーレストランの店舗数が増えてきた時代で、よく語ったりした。

花火大会に出かけたり、契約していた遊園地に行ったり。

保護者的立場ばかりだったかな。

 

そんな大学時代の夏休み。

 

 

 

 

社会人になると、なんで夏休みが少ないんだ!!

と思った。

それが当たり前に感じるようになり、下手に長すぎる休みをもらうと何をしていいのか悩むようになる。

休みが多すぎると出費が嵩む。

 

夏休みというより、有給休暇の消化となるのだが、持ち越し出来ずに消えて行った有給休暇は一体何日になるのだろうか?

今年も旧盆に2日だけ休みをもらいました。土日合わせて4連休。

小中高時代の10分の1しかない。

だからこそ有りがたいね。

 

でも、出かけるには大変な時期なので、どこにも行きません。

子供達にとっては夏休みも中盤戦。

甥っ子達は宿題、ちゃんとやっているのかな?

という、おっさんの夏。


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