1月17日に思う [ライフ]
あの日、私は有給休暇を取っていた。
家族を手術室に送った日。
あの時間すでに起きていて、何の情報も無いまま病院に行った。
詳しい情報を耳に入れたのは、待合室のテレビからだった。
会社に電話しても、神戸のオフィスへは電話回線も、直通回線も通じない。
携帯電話がまだまだ普及していない時代だったから、まったくの情報不足。
そして、テレビの映像にちらりと見覚えのあるビルが見えた。
ビルは壊れても、従業員はまだ誰も出社していなかった。
そして、ビルは建て直した。
でも、直せないものがある。
阪急電車にも登場した、「生(せい)」の石積み。
記事にしたけど、昨日ライトアップされた。
その画像をネットニュースで拝見した。
多くの人達の気持ちが込められた、「生」だった。
あの「生」はこれまで武庫川の増水で何度か流されている。
しかし、人は忘れない事、忘れられない事、忘れてはいけない事を思い、立ち上がる。
石を積み始め、徐々に人の輪が増える。
そして、「生」は蘇る。
しかし、自然はいつか4代目の「生」をまた流すと思う。
だけど、人はまた立ち上がるだろう。
また「生」を積み上げるかもしれないし、新たな事を試みるかもしれない。
残念ながら地震を無くすことは出来ない。
だから、僕らは力を合わせて何かを積み上げる。
そんな、1月17日の夜。
maeboo.さん
こんばんは。
1995年1月17日5時46分・・・わたしは、自宅から出勤する直前だったので、激しい揺れを鮮明に覚えています。
わたしは、大きな被害を受けた阪神・淡路から西に少し離れていたため、被害は、比べ物にならないでしょうが、神戸、宝塚、伊丹、西宮に住んでいた同じ会社の社員の中には亡くなられた方もいらっしゃったし、大怪我したり、自宅が全壊など、身近に被災された方がたくさんいらっしゃったので・・・忘れられないですね。
武庫川中州の鎮魂の「生」・・・
今年は、神戸の東遊園地などとともに、関西圏の新聞やテレビでも結構取り上げられていました。
by けんけん (2012-01-18 21:18)
けんけんさん、お疲れ様です。
私も親戚が被害にあいました。
昨年も石巻に微力ながら行かせて頂いたり、少しは身近に感じますが、やはり直接のダメージがありません。
我が身に置き換えて、何が出来るかを考えることが大事ですね。
石巻で同行した、高知の方々が、南海地震を想定して取り組んでいた姿が印象に残りました。
by saki (2012-01-18 21:41)
けんけんさん、こんばんは
武庫川の「生」も、有川さんの阪神電車の影響もあると思います。
懐中電灯の明かりでしたが、心に染みる灯りでした。
東遊園地は毎年こちらでもニュースで配信されています。
神戸のオフィスがしばらく間借りしていたのがすぐそばだったので、出張時にはよく立ち寄りました。
sakiさん、こんばんは
東日本大震災の復興ボランティアには、阪神淡路大震災や中越地震で被害に遭われた方も多く参加されましたね。
新燃岳も落ち着かない中、地元の方は支援されていましたね。
私も出来ることをしていきたいです。
by maeboo. (2012-01-18 23:14)