2012年初撮り 三溪園 臨春閣 [紀行]
横浜、本牧地区にある三溪園に来ています。
鶴翔閣、御門、白雲邸と見てきましたが、内苑を順路に従って進むと、開けた場所に到着。
第一屋、第二屋、第三屋で構成されています。
当初は秀吉が建てた聚楽第の遺構と考えられていました。
そのせいか、近くにも違う秀吉の遺構があります。
しかし、その後の研究で間違いであったことがほぼ証明されています。
紀州徳川家、徳川頼宣の別荘(巌出御殿)として紀之川に面して建てられていたそうです。
ただ・・・・・なら、なぜ聚楽第と思ったのかな?
疑問が残ります。
ただ、見事な数寄屋風書院造り。
狩野派の障壁画が複製ながら楽しめます。
ちなみに現物は先ほど横を通った、三溪記念館で展示されています。
公式HPの説明では、この巌出御殿は、紀州徳川家、初代の頼宣(徳川家康の十男)の別荘。
その別荘には頼宣の孫もこの御殿で遊んだそうです。
その孫とは、八代将軍徳川吉宗ですね。
原三溪もびっくりでしょう、秀吉の遺構を集めたと思ったら、徳川の遺構だったとは・・・。
もう一つの建屋には池をぐるっと回らないと見に行けない。
建物の中に入れたなら、いっぺんに見られるのに・・・。
ちなみに内部を公開していますが中には入れません。
さて、先ほど書きましたが、豊臣秀吉に関わる建築物が途中ありましたが、この記事では臨春閣を扱っているので、あえて触れずに通過します。
振り返ってみました。
第三屋も立ち入りが出来ませんが、覗き込んで撮影します。
天楽の間
実物の楽器が装飾されている・・・と後から知りました。
欄干に「笙」と「笛」があるというのですが、私が撮った写真で写っているのはひとつも無し・・・。
次の間です。
先日の鎌倉訪問ですっかり階段を昇りたくなるようになりました。
ああ、昇りたい。(もちろん、ダメ)
他にも内装を無理な体勢で覗き込んだ後、建物の後ろに回り込みます。
で、次に現れたのが
石灯籠。
で、説明書き。
身代わり灯籠
鎌倉で身代地蔵を見たけど・・・
千利休の身代わりとの事。
え?
聚楽第じゃないよね。
紀州の巌出御殿だよね。
ああ、そうか。
この石灯籠と巌出御殿は別々だったのか・・・・・・な?
とにかく、重要文化財指定の臨春閣、目で楽しみました。
コメント 0