百年ののち(3) [紀行]
今日のブラブラ。
目的地はここでした。
乃木坂へ行くのに、なぜ、明治神宮前からって思われるかもしれませんが、それでも歩いてやってきました。
元々は幽霊坂と呼ばれた坂道。
乃木希典さんがここに住み、死後、坂の名前は乃木坂となり、地名も乃木坂となっていきます。
彼が自ら命を絶ったのが1912年の事。
今年で100年経ちます。
水師営の棗(なつめ)の木の孫木です。
水師営は日露戦争、旅順攻防戦の停戦条約が結ばれた場所です。
水師営の会見の写真は有名ですね。
乃木将軍とステッセル将軍ら日露の軍人と事務次官らが交互に並び、座った写真でしたね。
ログハウス風な乃木希典さんの自宅。
1902年に建てられました。
1902年は露西亜との戦いの前に行った軍事訓練で大変な遭難事故が発生した年です。
映画にもなりました、八甲田雪中行軍遭難事件です。
乃木さんが留学中に見た、フランス軍の建物を参考にして建てられました。
シンプルですね。
そばには厩舎があります。
今朝まで降っていた雪がまだ日陰に残っています。
愛馬、壽号の厩舎です。
先ほど、話を挙げましたロシアのステッセル将軍から贈られたアラビア馬です。
レンガ造りの立派な厩舎でした。
そのまま通り抜けると、公園になっています。
勿論・・・
乃木公園。
ああ、思わず外へ出てしまった。
また、乃木邸内に戻ります。
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