今日だけが明日へ [時事]
あの日から2年が経ちました。
2年という年月が「あっという間」なのか「長い」のか私には語れません。
だけど、思うことはあります。
今年、2月から3月にかけて被災地を訪れる機会が何度かありました。
その中でも仕事で行った宮城はテレビなどの報道で観て聞いていたが、自分の目で見た光景はショックでした。
直後の光景ではなく、2年後の光景だというのに。
石巻市、日和山に登りました。
標高 56.4m
決して高い山ではありませんが、多くの人の命を救った山。
最初の写真は日和山から旧北上川をスマホで写したもの。
川沿い、見えている風景の殆どが浸水しています。
以前、石巻専修大学の震災報告書を読みました。
そこに掲載されている、津波により浸水した地域を色付けした地図があります。
日和山を囲むように、広い地域が色付けされています。
石巻専修大学はやや上流にあり、川の流れの関係なのか浸水はせず、広いキャンパスは避難場所となり、自衛隊・ボランティア・公的機関などが詰めて、臨時の地域中枢となったそうです。
川の中洲にちょっと変わった建物があります。
石ノ森漫画館。
ニュースで観ましたが、昨年再開館しました。また、今月23日にはリニューアルされます。
昨年ニュースを見た時の印象では少しずつ復興が進んでいるのかなと思っていましたが、取引先さんの説明を日和山で聞き、川の両岸は護岸工事が計画されており人は住めません。
写真にはまだ直せるかな?と思える建物も見えますが、行政計画により手をつけられません。
日和山より、海側を見ました。
春になると、桜の花が咲き、多くの花見客が集まる場所だそうです。
日和山に鎮座する鹿島御児神社さんの前に立ち、海の方を見ると景色が一望できます。
2年以上前だったら、カメラを構えて写真を撮りたいと思うような眺望のはずですが、私は写真を撮れませんでした。
南浜地区は壊滅状況で、今現在も解体はあっても新たな建築はありません。
2月10日のテレビ番組でも、復興の遅れについて沢山の報道がありましたが、時が止まってしまっているような景色です。
日和山に登る前に南浜地区を通りました。
やっと解体工事が始まった、石巻市立病院。重油によって全焼してしまった門脇小学校。門脇小学校に避難していた方は階上から渡り板で日和山へと避難したそうです。
他にも、日和幼稚園バスの事も。裁判が行われていますが、どんな結論が出ても悲しみばかり。
3年前に訪れた飯岡。
飯岡の灯台のそばに立ち、飯岡漁港や旭市の風景を写真に撮りました。
その1年後に津波が襲うなんて思っていませんでした。
震災から2年が経ち、もう一度自分の目で見ようと思い、同じ場所に立ちました。
さらに、千葉県香取市佐原
死者は無く、けが人も1人。
比較するものではありませんが、東北地方の被害と比較すると軽いかもしれません。
だけど、実際そこで生活する人達にとっては大きな被害。
天保年間に建てられたお店は、耐震構造からかけ離れ天井が崩れ落ちました。
伊能忠敬の旧住宅も甚大な被害が。
再建工事はまだまだ掛かりそうです。
広い範囲で大きな被害が発生した東日本大震災。
みんな懸命に明日を目指しています。
あの日から今日までの2年の時の速さ・長さをいま語り尽くして更に時間を浪費するのではなく、少しでも早く。
多くの世界の仲間たちが暖かい手を差し伸べてくれた、世界の人が驚いた素晴らしき日本人。
明るい今日を、明日をみんなで迎えたい。
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