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3年という月日に思う [ライフ]

コンビニの前に立ち、待ち合わせで間もなくやってくるはずの後輩を待っていた、2011年3月11日。

立っている事が怖いと思う揺れ。

あの瞬間から自宅と会社との安否連絡、徒歩で会社へ戻る決断、直前に読んだ福井晴敏さんの「平成関東大震災-いつか来るとは知っていたが今日来るとは思わなかった-」の中に書かれていた事を思いだし実践した。

会社に戻り、情報収集。そして、 再び徒歩で自宅へ戻る。

情報の不足で東北の沿岸で何が起こっていたかも知らずに深夜なのに延々と続く歩行者の列の中にいた。

その時の光景や人々の様子は殆ど覚えている。

 

そして3年が経ち、今日はほかの部署でトラブルがあり、応援に行っていた。

単調な作業ながら集中力と地味に身体にダメージを受ける。

時計を見たとき、2時35分。もうすぐだな。

と思った。

だが、その次に震災へ意識が移り時計を見たときには3時15分だった。

 

『風化』という言葉がよくニュース等で言われている。

黙祷出来なかったのは風化なのだろうか。

 

 

週末から今日にかけて多くのテレビで特集が組まれている。

私が訪れた被災地も立て続けに中継されていたり、VTRで紹介されていた。

震災から1年11ヶ月後に訪れた石巻。多くの人々を救った日和山にも行った。

震災の1年前に訪れて、震災の2年後の再訪した飯岡。

瓦が落ちてきた佐原。

テレビで見た被災地の様子と自分の目で見た被災地の様子は全く違った。

 

震災から1年11ヶ月が経過した石巻、門脇や南浜地区の様子を見て愕然とした。

道ひとつ隔てて、全く復興が見えなかった。

その驚きから更に1年1ヶ月が経過した。合わせて3年。

自分の目で見た光景とあまり変わっていなかった。

正直、遅いなと思ったし、テレビの中でももうあの土地には戻らないという住民に意見が増えているという。

 

だが、それも私の見た目だけの情報。

報道をよく見ている内に、懸命に復興に向けて駆け回っている自治体の職員がいて、会話を重ねる住民もいる。

 

やっぱり、自分は部外者なのかなとも思った。

 

震災直後の映像をテレビで見て、1年9ヶ月後のがれきを撤去した状況を自分の目で見て、3年後の状況をテレビで見る。

ガレキがあるか無しかの差はあるけど、住民がいない光景を見てこれだけ見方が変わってきた。

早いか遅いかは人それぞれだが、時は進んでいる。

 

 

 

この部屋の隅っこに、電池式のランタンがある。

福島の原発の事故により、3月13日(日)に発表された計画停電。

自宅も対象地区であり、実際に停電もした。

会社勤めをしているので、停電している時に家に居ることはほとんどなかったが、一日だけ停電が始まった地元を歩き、家に帰った。

家族が懐中電灯を灯していた。

 

懐中電灯はどこかを照らすには便利だが、部屋全体を明るくするのには向いていない。

欲しかったのがランタン型の電灯。

だが、状況はそんな電灯どころか電池も手に入らなかった。

それから時は経過して、土曜日に量販店の前を歩いていると丁度、電池式ランタンが入荷しておひとり様1台限りで売り出した。

それを買って、家族に渡す。電池は最後のストックを使った。

とっても明るく、部屋全体をある程度照らしてくれた。

よし。

 

 

しかし、その頃は計画停電が実施されずに済むようになっていた。

ランタンはその後、家にねずみが出没した時に、屋根裏等の搜索に、やっと出番を迎えた。

 

 

 

 

3年が経過して、自分に出来ることについても考えが少し変わった。

震災から数週間後、駅前には多くの募金箱を持って呼びかけをしている団体や個人がいた。

自分に何ができるか?それを募金活動で街頭に立つという選択をした人達。

学生さんも目立ち、その目に輝く使命感も見ることができた。

 

だけど、あの頃あの募金箱に自分のお金を投じる事に躊躇した。

私は大手のサイトを使って寄付を行った。

あの募金箱に投じられたお金がちゃんと被災地に届くか?懐疑的な心があり、信じきれない自分に嫌気もさした。

 

今、街頭に募金箱を持って立っている人は見かけない。

そして、募金自体もする気は無くなった。

被災地ではたくさんの原資が必要な事は分かっている。

あの時、日本だけでなく世界中から集まった善意は果たしてどういう形になったのか私にはよく見えていない。

いや、間違いなく有効に使われていると信じているけど、見えない。

 

あれから3年経ち、自分なりに復興のお手伝いを考えたとき頭に浮かんだこと。

寄付ではなく、実際に自分の目で見るために訪れること。

その土地の美味しい食べ物を頂き、色んな施設を利用し、可能であれば泊まる。

そこでお金を使うことが復興のほんの少しのお手伝いになると思う。

そして、石巻と飯岡を佐原は直接自分の目で見て、少しだけ、本当に少しだけ理解を深めたと思う。

だから、毎年どこかへ行きたい、京都だ!種子島だ!などと行っているけど、今年は東北へ行きたい。

そう、思う。


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