そうだ、京都行こう・・・とすると雨 (35)玄瑞終焉の地 [紀行]
京都御苑を歩き、南下。
このあたり、五摂家のひとつである九條邸あった場所。
その広大な敷地も今では池の畔の茶室、拾翠亭と
九條邸の鎮守だった厳島神社が中島に残るだけとなっております。
ちょっと鬱蒼とした場所を歩くと見えてきた門。
一端、外に出て撮影。
堺町御門
元々、長州藩が警備を任されていた門。
しかし、八月十八日の政変で解任されます。
その後、蛤御門の変では久坂玄瑞は堺町御門を攻め、鷹司邸へと入ります。
ここが鷹司邸跡。
振り返れば、すぐそこに堺町御門が見えます。
久坂玄瑞は鷹司邸で自害。
入江九一は邸外で越前藩士によって討ち取られます。
屋敷に火が放たれ、その火が京都に燃え広がります。
久坂玄瑞24歳
入江九一27歳
の生涯でした。
その後長州藩は薩摩藩と薩長同盟を結び、維新の原動力となっていきます。
歴史と、放映中の大河ドラマを思い出しながら、この日の京都散策終了のホイッスルを心の中で鳴らし、ここ数回でこの時間は道は絶対混むので地下鉄に乗って京都駅へと向かいます。
どうにか訪問から1ヶ月半かけて、大河ドラマ「花燃ゆ」の八月十八日の政変には間に合いませんでしたが、蛤御門の変の放映回までには書き終えました。
お疲れ様でした。
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