生涯背負うもの [ライフ]
先日、記事にしましたが録画していた「沖縄戦・全記録」は既に見終えております。
初めて観た映像がたくさんありました。
それは正視するのが辛いものばかり。
ただ、特集として組まれた番組の内容はこれまで多くの本などで得ている知識を大きく超えるものはありませんでした。
いや、逆にあれ?この伝え方だと誤解してしまうのではという事もありました。それは将校の戦術論に関するもので、その選択した戦術が多くの一般住民を戦火に巻き込む結果となるのですが、この番組の表現ではその一人の独断と思われてしまうかもしれないと。
本土の上層部の指示、参謀の意見、そして戦況。いろんな要素があったなかでの選択だったはず。
他の視聴者から見れば気にならない、私の考えすぎかもしれませんが、番組にしても報道にしても、表現一つで受け取る側が誤解してしまう可能性がある訳で、それっと怖いなとも思いました。
そして、このような戦争に関係する番組を観ていていつも思うことがあります。
当時、あの戦争に従軍していた元将兵のインタビュー。
住民のインタビューとは異なる部分は多い。戦場で命令の下で行動しているという大前提がある。
命令の下、行うこと。命令に背き行ったこと。命令自体ないこと。
将兵も住民も命の重さが軽くなってしまっている。
直近では「千の証言スペシャル 私の街も戦場だった」が3月に放映され、日本本土で行われた米軍戦闘機による機銃掃射の映像をたくさん観ました。戦果確認の為に戦闘機に搭載されたガンカメラの録画により、建物や鉄道車両、一般人に向けられた機銃掃射の様子をはっきりと観ました。そして、多くの犠牲者を出した鉄道に対する機銃掃射作戦に参加したパイロットがインタビューに応じていた。
多くの番組に登場する、元将兵。
誇らしげに語り、「命令であり自分の命を守るためであり、仕方がなかったんだ」
というパターンと
あまり多くを語らず、その時の心情を語り、今も何かを背負って生きているのが伝わる人。
最後まで何も語らず、背負ったまま寿命を全うした人。
今年は第二次世界大戦終結より70年。
「70年」が節目かどうかは別にして、おそらく多くの特集番組やドラマ等がこれから放映されることでしょう。
50年や100年なら節目と感じる部分がありますが、70年。
ただ70年という年月は徐々に当時戦争を体験された方の生の声がだんだんお聞きするチャンスが減ってくる年月でもあります。
安保の問題。沖縄基地問題。近隣諸国との関係。
70年前とは変わった環境下であり、安易には言い切れないことも多いけど、一度戦争が起きれば悲しむ人が大勢出ることは変わらない。
『それだからこそこう思う』、『それでもこう思う』
と自らの考えを持つべき。すごい難しい問題であり、年齢や性別、地域性や職業・・・いろんな条件で考え方も違うでしょう。
私もずっと考えているけど、考え方は不変ではなく少しずつ変わっています。特に考えているうちに年月は流れ、太平洋戦争当時状況下でも召集令状を受け取る年齢を超えたこともあります。
これからも考えます。意見します。
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