そうだ、また京都1509初秋(11) 興臨院 [紀行]
大徳寺さんを訪れています。
広い山中を歩き、高桐院から移動します。
興臨院さんへ。
通常非公開の塔頭で、昨年末に訪れた際には大掃除(という表現でいいのだろうか)の真っ最中で外からちょっと眺めるだけでした。
今回は特別公開期間。
通常は非公開だからなのかお寺の常設としての受付はなく、表門に机と椅子を並べて臨時に対応されています。
※表門を映すと思い切り受付の方を映してしまうので、昨年のリンクで表門を見てみてください。
その受付の方はお寺の方ではなさそうで観光協会の方らしき人が対応されていました。
寺社・仏閣を廻る時には小銭を沢山用意して小銭入れがパンパンになるまで詰め込んで旅に出ます。
小銭は普段から500円玉貯金、そのついでに100円玉貯金をしており、単なるプラスチックケースだから取り出しも簡単なので、今回も出発前に取り出してきました。
ただ、今回はこれまでの拝観料や飲み物代などで小銭の消費が激しく、ここで600円の拝観料に対し、1000円札を差し出しました。
すると受付の方が「恐れ入りますが100円ありましたらお願いできますか?」と仰りました。
なるほど、600円に対し1000円札を出す方が多いようです。連休中だから銀行で両替も出来ないこともあってのことでしょう。まだ、100円玉1枚はありましたので追加で差し出し、500円玉のお釣りを受け取ります。
簡単なやや早口の説明を受けます。
中へは正面の玄関から入ってとのこと。
いや、これは普通と思わないでください。
普通は書院や庫裏の入口から上がって、方丈へと向かうことが多いのですが、今回は方丈の玄関より入っていきます。
玄関の唐門。
こちらから入ります。
火灯窓からお庭が見えます。
わくわく。
大徳寺の塔頭は戦国大名にゆかりのあるお寺が多い。
先ほど訪れた高桐院は細川氏、昨年訪れた瑞峯院は大友氏、他にも織田信長、豊臣秀吉、三好長慶、石田三成、立花宗茂・・・挙げてもキリがない位。
この興臨院は畠山義総によって開基されたお寺。後に畠山氏が没落すると前田利家により改修されて後に前田氏の菩提寺になります。
方丈前庭園はオーソドックスな枯山水庭園。
先程の高桐院では随分と蚊に悩まされましたが、こちらでは今のところ蚊は見かけません。
ここではゆっくりと眺めることができます。
よし、このお庭についてスマホで調べてみよう。
お庭は中根金作さんという作庭家によって『再現』されたもの。
なるほど、芬陀院(雪舟寺)では重森三玲が雪舟の庭を忠実に再現したのと同じような事か。
で、この中根金作さん『昭和の小堀遠州』の異名を持つ方らしい。
重森三玲の方が年代が先だけど、二人に接点はあるのだろうか?
三玲とイサム・ノグチを調べた時にはあっという間に二人の交流がわかったけど、三玲と中根金作については庭を眺めている間には見つからなかった。
小堀遠州の本名は小堀政一。徳川家康に仕えて遠江守の役職についたことにより遠州と呼ばれていた。
中根金作も静岡出身であり、そのことも昭和の小堀遠州と呼ばれる要素になっているとか。
ただ、目の前のお庭はオーソドックスな蓬莱石組。
もともとの作者は分からないが、それを再現したもので昭和の小堀遠州である中根金作のテイストをここから感じ取る程のお庭ウォッチャーにはなっていない・・・。
案内されている観光協会の方(受付の方とは別)にある方が声をかけていた。
静かなお寺では聞き耳を立てなくても声は勝手に耳に入ってくることがある。
気にならない話題なら、耳に入っても意識しないことも多いのだが・・・。
その観光協会の案内の方をベタ褒めしつつ、以前、別のお寺さんで若い方に説明を受けたけど全然・・・。あの方達は・・・?と曖昧な質問をぶつけていた。
たぶん、学生さんですねと観光協会の方。
ああ、どおりで。
私の中で今年のGWに訪れた東福寺の三門を思い出した。
あの日も東福寺の三門は特別公開で上に上がることが出来た。
受付から案内、説明を全て学生のような若い方たちがされていた。
その時は教授によって駆り出された学生かと推測したのだが。
多少辿たどしくても、一生懸命、工夫しながら丁寧に説明してくれたので私は悪い印象はなかった。
聞いている観光協会の方も困ったようで明確な同意のような返事はしていない。
それを聞いて、そろそろ次に行こうかと思った。
外に出ると、ご年配の男性が受付で拝観料を払おうとしていた。
その手には1000円札。
「100円ありましたらお願いできますか?」と先ほどと同じフレーズ。
シルバーウイークもまだ半分。
果たして、100円玉は大丈夫だろうか?
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