SSブログ

20年と1年 [ライフ]

私は東京勤務ですが神戸にも拠点があり、あの日被害を受けました。

しかも私は三連休明けも母の手術立会いがあり有給休暇。

出社すれば情報不足の大混乱。

社員の安否確認が完了したのも数週間後。

得意先や取引先からのお見舞い訪問が相次ぎ、励ましと支援申し入れのFXAが対策本部の部屋のホワイトボードに貼られ、スペースが無くなり壁にも貼られている。

社員は全員無事でしたが、家族や親せきを含めると・・・。

 

あれから21年。阪神淡路大震災を知らない世代も成人式を迎えた。

 

 

 

今朝、早起きをして『その時』をブログ更新を打ち込みながら、考え事をしながら迎えた。

テレビを見ると、まあこれからかもしれないけど取り上げられる時間が随分と短くなったなぁ。

今年は東日本大震災から5年という節目の年でもあります。

節目と言うのは色んな意味で区切りにはなるけど、忘れてしまいたい事もあれば、忘れちゃいけないこともある訳で。

どこまで関与するのか?

当事者なのか部外者なのか?

それによって感じ方も変わるのでしょうね。

 

阪神・淡路大震災の時の教訓が東日本大震災に活かされたことも多く、また活かしきれずに反省している人達も居る。

地震はまた起こるだろうけど、多くの犠牲者に報いる為に忘れてても思い出すようにしないと。


nice!(0)  コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 2

saki

先が見えない復興ほど、対応が難しいものはないのかもしれません。
東日本大震災も少しだけ作業を手伝いましたが、その後は全く何もしていません。
福島の復興に携わる友人もなかなか進まない状況に諦めにも似た感じになるようです。
by saki (2016-01-17 09:43) 

maeboo.

sakiさん、こんばんは
復興のための街づくり、これが計画を慎重に検討して時間が掛かる。
大きな計画なので地元住民全員の信任を得られず前に進まない。
皆の意識が希薄になったから進まない。
色々あると思います。
それぞれが出来る事をしていくしかないのでしょうね。
by maeboo. (2016-01-17 18:27) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。