そうだ京都、青もみじを見に行こう(15)弘源寺 [紀行]
世界遺産大本山天龍寺。
その天龍寺の塔頭、宝厳院に行き、大本山天龍寺の前を素通りして弘源寺へと向かう。
人の流れは塔頭寺院に立ち寄る人もいるけど、多くは天龍寺へと向かっている。
私は左手に宝厳院で購入した共通拝観券を握りしめ、その大きな流れに逆らうように弘源寺へと向かう。
本当に人の流れに完全に逆流していた。
その時は建物内部には入れなかった。
この時の記事を見ても、弘源寺さんの事はほんの少ししか書いていなかった。
入ってすぐ左に毘沙門堂。
ご本堂にお参りしてから後ほど
ご本堂です。
前回は入ることが出来ませんでした。
今回はお庭を
歴史の跡を
竹内栖鳳の絵を
今回は拝見することにしましょう。
しかし!
建物内は撮影禁止なのです。
眼で見たことを、そこで得た感動を文字で伝えるのは私には無理です。
だから、いつか自分の眼で見て下さいね(笑)
※この記事を書いている段階で今年の春の特別公開期間は終了しています。ご注意ください。
もともとこの特別公開期間に期待と思った一番の理由。
虎嘯の庭
嵐山を借景にした枯山水庭園。ただ、この日は(いつもなのか?)ガラス越しでの拝観でした。
ちょっと、それは残念。窓越しに庭を眺めているのですが、その顔を近づけていた場所が実は歴史の跡だった。
長州藩士による刀傷が目と鼻の先に。
最近ではNHK大河ドラマ『花燃ゆ』の中でも描かれていましたが、京都を追放になった長州藩が挙兵した際に陣を構えたのがこの天龍寺であり、弘源寺にも逗留したそうです。
天龍寺に陣取ったのは来島又兵衛。真木和泉守と久坂玄瑞は天王山に陣取っていました。
結構激しい刀傷であり、多分刀が傷んだのではないかと想像。
まあ、刀一本しかないという事もなかろうし、血が頭に昇っているのならばそんな傷をつける行為は分かる気もする。
そして、室内にいくとかわいらしいと思った絵が。
竹内栖鳳氏の絵とその一門の絵が所狭しと飾られていました。
竹内栖鳳さんの御子息が病気療養でこの弘源寺に身を寄せていた際に、竹内栖鳳さんのお弟子さんが味気ない闘病生活を潤いのあるものにしようと門下生たちに部屋に絵をかいて飾ろうと提案したそうです。それが今でも現存しています。
良い話ですね。
さて、帰りに毘沙門堂にも寄り、次へと向かう事にしましょう。
そろそろお昼時です。
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