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そうだ京都、16年末も行こうっと(3)長尾天満宮 [紀行]

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鳥居の周辺には多くの地元の人でいっぱいだった。

年越しの準備に氏子のみなさんが集まっており、通りかかった人と談笑している。

ちょっとカメラを差し向けるにはいい条件とはいかない。

本殿へと続く参道も遠くまで目を向けても、作業している人たちでいっぱいだった。

 

 

その長い石段は購買はそれほど高くない。一段一段もそれほど高くない。

これまで多くの寺社の石段を登ったり下ったりしたし、高所恐怖症の私にとって足がすくむような石段もあった。

ここは違う。

 

違うんだけど・・・つらい。

 

踊り場がなく、延々と緩やかな勾配と決して真っ平とは言えない昔からの石段(おそらくは江戸時代)がずっと先まで続いている。(写真は氏子さんでいっぱいなので撮影せず)

 

息を切らしてどうやらご本殿まで到着。

 

 

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この天満宮は醍醐天皇が菅原道真公を祀ったことに始まるといいます。
 
長尾天満宮がある場所、ここは醍醐寺の境内と隣接しています。
 
藤原時平の謀略により醍醐天皇が菅原道真を左遷、そこで病死したのち、京の都では数多くの異変が起きる。
 
積極的に謀略を立てた源光と藤原時平の死、醍醐天皇の子供、孫の死、清涼殿の落雷など醍醐天皇は恐れたといいます。
 
 
 
 
でも、当時の関係者にとっては震え上がる存在の菅原道真公も受験生にとってはまさに神頼みの存在でもあり、この年越しの準備で多くの氏子さんが集まっているのを見て、信仰の厚さを感じました。
 
 
 
 
 
 
 
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焚火がたかれ、そのそばで年配の女性が火の番をしています。
 
糸魚川の大火もあり、決して目を離そうとはしていませんでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
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拝殿はまだ新しく、最近建て替えられたようですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
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天神さんといえば、牛。
 
りっぱな石像がありました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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そして、境内にある衣裳塚。
 
菅原道真は自分の墓はここにと生前より伝えていたようです。
 
死後、大宰府より着物と遺物が持ち帰られて、ここに埋葬されたそうです。
 
 
 
 
 
 
 
 
さあ、帰ろうか。
 
ここで長い石段の一部を撮影できました。
 
 
 
 
 
 
 
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前述のとおり、決して勾配はきつくありません。
 
私よりも随分と年配の方もこの石段を昇り降りしています。
 
が、踊り場もないので一気に石段を速足で駆けると息が上がります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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石段の途中には頼政道跡もあります。
 
源頼政が以仁王挙兵の際に通った道。
 
頼政は宇治の平等院で平氏と戦い、敗れます。
 
 
やっぱり京都はそこかしこに歴史がありますね。 
 

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