ドルチア モンブラン [ライフ]
昨日から今日
3月から4月
日本では「年度」が終わり、始まることも多い節目の日。
週末、実家で過ごしていると突然飛び込んできた情報が。
ドルチア 閉店
一時期、アド街ック天国で紹介された頃は連日行列ができて、3台しか停められない駐車場が狭いわりに交通の要衝になっている交差点にあるので渋滞も引き起こしていた。
ただ、子供のころから誕生日だったり、ご褒美だったりのケーキといえばドルチアが当たり前だった自分としては、なんでこんなに人が集まるんだろうかと思ったり。
でも、伊勢志摩サミットにドルチアのチョコが提供されていたなど、オーナーシェフがその世界では有名な方だと知らずにモグモグ食べていた。
ドルチアが開店するほんの少し前に生まれた私は、ドルチアのモンブランをはじめ他のケーキを少なくとも3桁個数・・・を食べて育ち、今の身体の血肉となっている。
そもそも、モンブランと言えばあの形であり、どう表現すればいいのか分からないが、細かい穴から絞り出した「蕎麦」状に整えられたスタイルの場合、それをモンブランとは思っていなかった。
道路の拡張工事もあり、ちょっと道から引っ込めて綺麗な建物してそんなに経っていないが、昔の店舗も記憶に残っている。
窓ガラスに貼られた
『しばらくの間 閉店させて頂きます。 ドルチア店主 』
文字だけ読み取れば、いつか再開するのかと思ってもいい。
ただ、ツイートなんかを調べると経営者が変わる、それに伴い店名が変わるなど、確信を得られない情報が羅列されている。
私が知る限り、ドルチアはオーナーパティシエが文字通り、経営し実際に商品開発もしている。
経営者が変われば、あのモンブランをはじめ私が知っているドルチアのモンブランやケーキはもう食べられない。
ドルチアというブランドを手放し、オーナーパティシエが店舗名を変えて、でもあのモンブランを作り続けたとしても、もう「ドルチアのモンブラン」は食べられない。
中年のおっさんの私が生まれて2年後にドルチアを開店したという事はオーナーパティシエの年齢も推測できる。この点がちょっと心配…。
安く手軽にケーキを提供する為にチェーン店化、大量生産化という手段もありだと思う。
でも、非チェーン店はやっぱり心に残る店が多い。
私の生まれ故郷にあった、ドルチア。すぐそばに永井荷風が晩年通った料理屋があった。
大黒屋さん。
このお店にはさすがに子供の頃から通ったことは無かったが、かつ丼と日本酒という荷風スタイルを真似て何度か訪れた。
同じ街でサイゼリヤは生まれ、まだチェーン店になっていない、小さなお店の頃にセントラルキッチンで作られて、送られてくるわけではないミラノ風ドリアを子供のころから食べていた。
保存されている1号店ではなく、南口にあった店舗の方へクラスメイトと通ったなぁ。
当時の経営スタイル当時でも、高校生が気楽に入れるイタリア(風)料理だった。
大チェーンになってから、足が遠くなったのであの味は変わっていないのだろうか。
京成百貨店も無くなり、十字屋もなくなった。
京成百貨店から十字屋のそばを通り、駅前の交差点にはアーケードスタイルの商店街もあった。
再開発で便利になった気がするけど、こうやって記憶を紐解かないと思い出せないことが増えてきた。
あとはハタボウルに頑張ってもうらおう。
コルトンが出来て、スカラ座も文化座もシネマ1もシネマ2も無いけれど。
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