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納涼千里天国・・・・・と地獄

せんりまりさんのコメントから、大江千里さんに関する記憶がどんどん蘇ってきた。


私がライブに初めて参戦し、最も参戦したアーティストさんであり、もっともCDを購入したアーティストであり、カーラジオで「ステーションキッズ(提供はスズキ自動車)」を聞いたアーティストです。


楽曲「REAL」を聞いてどはまりした頃、バイト先の先輩に千里さんにそっくりな人が二人いて、その内ひとりは、目の前で他人に「大江千里さんですか?」と声を掛けられていた。


脱線しました。



千里さんが好きでも、自分一人ではライブに参戦することはなかったのでしょうが、私が千里さんが好きなことを知ってくれて、ライブのチケットを取りお誘いいただいたので、千里さんの夏の名物になりつつある「納涼千里天国」に参戦しました92年の夏。



エールを送ろうなど盆踊り感を遠く遠くのスタンドから眺め、それでも初めてのライブに大満足し帰路へ。


あの頃は移動は何でもどこでも車!というころだったので、やっぱり車。


球場そばには停められないので西武遊園地の駐車場に停めていました。


球場から満員電車に乗って、すぐに西武遊園地で降りた際には他の乗客からなんでここで降りるんだ?としげしげと見られました。


さあ、帰ろう。


と思ったら、大渋滞。千葉へ着くころには日付が変わっていました。初めてのライブで高揚したままずっと運転していたため、送り届けた後自宅についたころにはどっと疲れが。






なんとなく、そのせいか納涼千里天国では何かが起きる。


翌年の横浜スタジアム。


千里さんの影武者がアチコチ走り回る「長距離走者の孤独」や「マリアじゃない」の最中に演出外の花火が上がったりと。


この年は大きな事件は起きなったが



その次の横浜では雨が降らず取水制限が続く毎日なのに、開園直前の大雨。すごい雨。


球場内であわてて購入したカッパを着て、ポンキッキーズの「夏の決心」を聞く。


帰りの車中は汗と雨でずぶ濡れで暑いけど、エアコン効かせると体が冷えた94年の夏。




翌年は千葉マリンスタジアム。


構造上なのか暑かった。


震災チャリティでも意気投合した、泉谷しげる氏がまさに大暴れ。


満喫して、千葉県内ですぐに帰れるはずが、大渋滞。


道を知っていたのに、興奮冷めやらぬまま歌を歌いながら運転して、誰もが選ぶ道を選択してしまった。


ああ、ほぼ地元なのでよく考えればR357に出るまで他に抜ける道がない渋滞必至の道。冷静ならば、遠回りでもさっさとR357を横切ってしまい、R14方面に抜ければよかったのに。


と、またもや納涼後に渋滞にはまった95年の夏。





翌年の納涼、開催地は・・・ハワイ。


無・・・無理だ。




その翌年の納涼はツアー形式


よみうりランドEASTでは遊園地入場券付きのチケット。


今はない、水中バレエを見てから会場内へ。


納涼名物、この年の悲劇は・・・車。


渋滞ではありません。



12万キロ強走ってくれた愛車が断末魔の悲鳴を上げる。


いや、悲鳴は上げていないし、同乗者も言われなければ気が付かない程度だが、ずっと運転してるとわかる何かがおかしい。


イグニッションコイルがやられて、大幅な修理をしたり、中古車で購入しその購入代金以上に修理費を使いつつも、どこまでも走ってくれた愛車の引退時期を悟りつつ、どうにか家まで走ってくれて、そのまま引退した97年7月。



ツアー2か所目は六甲山。

これはほかのエントリでも書いていますが、台風接近による雨。

台風が近づいていると知っていても、ホテルのある六甲アイランドは晴れていた。

ケーブルカー乗り場にいても、大丈夫だろうと。

でも、横浜スタジアムの経験を活かし、カッパとポンチョの二重体制を用意し、現場で高いカッパを買うつもりはなかった。


だが結果はカッパが全く役に立たない大雨。そして、ひたすら効率よく演目をこなしライブは終了。

帰路はケーブルカーなど混むということで臨時バスが出ていた。

目的地はちょっと別な方向に向かう。甲子園球場のすぐそば。


ずぶ濡れのライブ参戦者が臨時バスから吐き出されると、まったく雨など降っておらず、野球観戦を終えた雨ではなく汗をかいた観客と遭遇。お互い、目をぱちくり。

そんな、97年の夏真っ盛り。



この年の納涼ツアー最終戦は八景島シーパラダイス


車は壊れており、まだ新しい車を購入できていない。


借り物の車で参戦。


ライブが始まるまでは八景島シーパラダイスで苦手のコースターに乗せられて、当時は店舗が入っていたシズラーのサラダ食べ放題(とは言ってもサラダだけでなく色々あって、2500円程度の料金だったかな)を食べて、いざ参戦。



最前3列目。当時千里さんがMCを務めていたNHKのトップランナーのカメラも入っていた模様。


シーパラの芝生の公園のような部分、フェンスに風船をこれでもかというくらいに膨らませて周辺から中が見えないように覆っています。

でも、アンコールに入りその風船が空に飛ばされる。これによって、ライブ参戦者以外もフェンス越しにライブがみられるようになった。



盛り上がった納涼。97年の8月。


この年を最後に私は納涼に参戦していない。


もう20年以上前か・・・。

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