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背筋ピン! [歴史と出会う]

出張から帰ってまいりました。

初日10月17日に朝一の便で飛び、ホテルに入る前に時間が少しあるので、ハイデッカーバス2台(1号車は喫煙車・2号車は禁煙車。おいらは禁煙車だけど、横に並んでいる時に1号車の窓から本当に煙があふれ出てきており、汽車のように見えた)はちょっと、寄り道。

噂では大和ミュージアムに寄ると聞いていたので、NF光人社文庫の戦記物を読んでいる私としては期待をしていましたが、なんと火曜日は休館日なので立寄る事は出来ませんでした。

残念!

ロケセットがあった頃の話を教えてもらいました。入場券を買う前にロケセットを背に記念撮影するのにベストポジションがあるそうです。そこに辿り着くまでに2時間くらい。そこから切符を買うのに2時間・・・。ちなみに車で来る場合は最寄ICから降りるのにも相当時間が掛かったそうです。

今はロケセットも無く、休館日で静かな呉の港を車上から眺めます。

大和が生まれたドッグ付近を観て走ります。

潜水艦や海上自衛隊の艦船も多数停泊しております。

ちなみにこの周辺は映画「海猿」でもロケに使われたところ。

後ろ髪引かれる思いで、車は音戸の瀬戸を渡り、車は江田島へ。

僅かの時間ですが、立寄った場所は海上自衛隊第1術科学校。

見えてきたのは赤レンガ・・・

おおおおおおおお、ここが海軍兵学校のあった場所だ。

というか、目の前の赤レンガ自体がその物だ。

赤レンガの東の横綱が東京駅。西の横綱がこの建物、旧海軍兵学校西生徒館、現在の幹部候補生学校庁舎だそうです。

この赤レンガ、イギリスからレンガを一つ一つ油紙に包んで軍艦で運んできたそうです。明治26年に作られたこの建物、レンガは今でも当時のままでピカピカ。東京駅のレンガも見たことありますが、比較になりません。

今回の見学、自衛隊の方にして頂いております。

拡声器など無く、広い場所でも彼の響くような声はどこにいても聞きます。

厳しい口調の中にもユーモアもあり、僕ら一行、仕事関係の見学では見せなかったキラキラした目で見学させていただきました。

教えていただいたベストショットポジションということなんですが・・・

実はこれらの写真、携帯電話のカメラで撮っております。バス内で撮影禁止との情報があり、デジカメを置いてきたのですが・・・ああ、勿体無い。

 

広い敷地ですが、そろそろ西陽も傾きつつあります。

携帯カメラの望遠機能を使って撮りました。

これは戦艦「陸奥」の主砲第四砲塔です。海軍兵学校用の教材として昭和10年にここに設置されたそうです。

 

足早に色々教わりつつ、進みました。

説明を頂いた方はすれ違うとみんなに挨拶されています。その『先生』の軽妙なお説教は薬師寺のお坊さんを思い出させてくれます。

時間が無いので、最期に寄ったのが教育参考館

『先生』の態度がちょっと変わり、実はここが撮影禁止場所でした。

注意事項を受けて中に入ります。

時間はあと15分しかありません。質問は出てきたらここで待っているから受け付けますとのこと。

中に入ると、明治から昭和までの歴史的資料が展示されています。

その中でも驚いたのが、宇垣纏(勿論、兵学校の卒業生です)の戦藻録の本物がそこにあったこと。宇垣さんの日記なのですが、歴史的価値の高いものです。

他にも開戦時、真珠湾攻撃に参加した特殊潜航艇の乗組員の遺品、特攻隊員の遺書など、驚くぐらい興味深い資料が沢山あります。

特攻に関する施設は知覧や万世、鹿屋や都城など九州が多いですが、ここは知りませんでした。

 

大和の主砲弾です。後ろにちょこっと見えるのは特殊潜航艇(甲標的)

雪風の錨です。

呉の雪風、佐世保の時雨

幸運艦として、もっとも有名な雪風

第二次世界大戦は数多くの戦闘を戦い抜きました。

パラオ・レガスビー・ラモン・メナド・ケンダリー・アンボン・クーバン・スラバヤ沖・ニューギニア西部・ミッドウェー・ラボール・ソロモン方面・南太平洋海戦・第三次ソロモン海戦・ガダルカナル撤収作戦・ラエ・ビスマルク方面・トラック・ナウル・中部ソロモン・コロンバンガラ夜戦・トラック・シンガポール・トラック・シンガポール・サイパン・グアム・テニアン・マニラ・リンガ・タウイタウイ・マリアナ沖海戦・リンガ・レイテ沖海戦・内地信濃護衛・呉空襲戦闘・沖縄特攻

第二次世界大戦のあらましを書いたわけじゃありません。雪風の戦歴です。

あまり興味の無い方でも、聞いた事のある戦闘がいくつかあると思います。

戦艦大和の沖縄特攻にも随伴しております。

それでも雪風は終戦まで生き残ります。これだけの戦闘を通じて戦死された方は8名だけでした。

生き残るということは、沈没した僚艦の乗員を海から救い上げ、立錐の余地の無いまま陸へと帰る船でした。雪風は何度と無くこの救出作業を行います。

終戦後、武装解除して輸送船となった雪風は、復員にも奔走します。

そして、この船は抽選の結果中国(中華民国)に引き渡され、中華民国海軍の旗艦となりました。

丹陽(タンヤン)と名前を変えた雪風はその後、役目を終えるとスクラップされましたが、蛇輪と錨は返還されました。

 

その後、海上自衛隊が発足、護衛艦を保有します。

一番艦に与えられた名前は「ゆきかぜ」でした。

 

 

駆け足で資料館を抜けて、ガイドしてくれた自衛隊の方とお話をしました。

素敵な方でした。

ここには書けない(いや、書けないことではないのですが、自衛隊・海軍のお話は皆さん色々意見があると思いますので)ことも聞きました。

教育参考館前でちらっと見せた、真剣な表情が覗えます。

もう一度、ゆっくり来たいなと思いました。

 

さて、バラバラバラバラと私どもの一行が集まり始めます。

時間は予定時間ギリギリ。

そこかしこに立っている人を指差して人数確認をするが、なかなか確認が取れない。もう一度、1・2・3・・・・ああ、分からない!!

そんな様子を見ていた自衛隊のガイドをしていただいた方が、通る声で、

「はい集合!! あなた手を上げて」

と一人捕まえて右手を上げさせる。

「じゃあ、ここが起点で4列縦隊!横見て、かかとを合わせる。前観て真っ直ぐね~!」

ガイドさんがいくら数えても合わない人数が一瞬で確定しました。

にこっとした笑顔と、大きなだみ声に送られて、ホテルに向いました。

 

平日は1日3回、土日祝祭日は4回。

所要時間は1時間半(私たちは1時間いなかったよ!)

予約なしでも見学できます。当日、門で申し入れしてください。(でも、行事で出来ない日のあるから事前にチェック!)

団体は20名以上で事前申し入れしてください。

今はちょっと警戒レベル高かったです。

酒気帯びは厳禁ですよ。

 

江田島の夕陽です


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