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改めねば [歴史と出会う]

昨日・・・いやもう日付けが変わったから一昨日の火曜日のお話。

セミナーに参加した後、一旦会社に帰りました。

火曜日は残業を避けて、早く帰ってます。

お風呂から上がり、テレビを点けてチャンネルを廻す。

なんでも鑑定団で止めると、漁師さん(?)らしき人が何か重量物を引揚げたという。何かとは言わずにスタジオへ・・・。

白い布で被された物はそのフォルムから想像できた。

引揚げられた場所は別府湾。

白い布が取り払われると現れたのは四翔のプロペラだった。

「紫電改!」

すぐに思った。依頼人の方もその戦闘機の名前を口にした。

そして、番組の紫電改の解説も始まった。

 

グラマンF6Fが登場して、零戦は苦戦を強いられる。
そして、グラマンに勝てる戦闘機をという声が大きくなった。

軽快な戦闘機が十八番だった中、海軍は高馬力・頑丈な機体・重装備・格闘性能の良さ(ようは全てじゃないか!)を求めた。

零戦を作った三菱重工、隼を作った中島飛行機からではなく、水上機専門のメーカー・・・川西航空機から傑作が登場する。

川西は二式大艇で有名だが、1,460馬力のエンジンを積んだ強風というフロート付きの水上機が既に出来ていた。

航続距離 1,060km 最大速度 489km/h 
20mm機銃×2門 7.7mm機銃×2門 30kg爆弾×2発
約100台しか生産されなかったこの水上機、このスペックの高さに注目して取りあえず、フロートを取っ払って車輪をつけてみる事に。これが『紫電』だった。

二段引き込み脚という新方式を採用したが、これがなかなか巧く作動しない。
離着陸で事故が多発する。最近読んだ本では『紫電』を陸に上がった河童と呼んでいた。

川西では少々の手直しじゃ駄目だという事で、思い切った設計変更をします。

強風のボディにエンジン(三菱:火星エンジン)を積んだ紫電だが、中島のコンパクトな誉エンジンに積み替えた。エンジンがコンパクトになれば胴体に余裕が生まれる。強風(紫電)のボディをすっきりとさせる事が出来た。これで操縦席から下方の視界が良くなる。そして致命的欠陥であった二段引き込み脚に関しては、翼を胴体の一番下につけることによって脚の長さを短くし、構造をシンプルにした。

機銃は強風から紫電になるときに20mm4門となったが、紫電改でも変更されていない。給弾はベルト方式。

こうして出来たのが紫電改です。伸助さんが紫電改って紫電の改良の意味だったんだと驚かれていますが、もはや別物の飛行機なんです。

源田大佐が集めた精鋭部隊 松山三四三空の活躍は有名でした。

 

昭和53年11月に愛媛県城辺町の湾底で紫電改の機体が見つかりました。機体は翌年の7月14日に引揚げられます。これは昭和20年7月24日に出撃し、未帰還となった6機のうちの1機と言われています。

この湾に戦闘機が沈むのを目撃された方が居ます。その目撃者のお父さんの告別式の最中だから日付けを間違えるはずも無い信憑性の高い証言でした。

墜落ではなく、模範的な着水姿勢のようでした。だから搭乗員は最後まで操縦をしていたんですね。

 

そんな事を考えながらスタジオのプロペラを見て、果たして鑑定価格はいくらなのか?

 

って思っていたら、紫電改のプロペラじゃなかった!

依頼人もそうだけど、ちょっとだけ本で知識をかじっていたのですっかり紫電改だと思ってた。

一式陸攻のプロペラだったそうです。・・・この一式陸攻は・・・あ、引いてる。今日はこの辺で失礼します。


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コメント 4

あつし

日本海軍の戦闘機といえば、20ミリだけどさ~
12・7ミリを6丁位装備した方が良かったと思うんだよね~
1丁あたりの携帯弾数も多くなるし。
弾道の直進性もいいしさ。
まあ、日本に優秀な12・7機銃がなかったんでしょうがないんだろうけど・・・。
ある搭乗員が書かれた手記の中で、グラマンが遠くから翼縁を真っ赤に染めて
撃ってるのを見て何度も羨ましいと思ったって書いてるもんな。
by あつし (2006-11-30 22:08) 

maeboo.

こんばんは
坂井さんが言ってましたよね。20ミリはあたりゃ一発で落とせるけどとにかくお辞儀が酷いってね。

あと、震電が邀撃戦で飛んできたら、アメリカの搭乗員もびっくりしたろうなぁ。
30mm×4門ってどうなんだろう?
by maeboo. (2006-11-30 22:32) 

エド

1974年秋にオハイオ州のDayton郊外にあるWright-Patterson Air Force Museumで紫電改が展示されているのを見ました。 たぶん動態展示だったと思います。 「George 21」という名前を付けられて。

私が日本人だとわかると、係員が立ち入り禁止のロープを解いて近くへ行って見せてくれました。

Wrightと付いているのはライト兄弟がDaytonで自転車屋をやっていたのにちなんでですね。

インターネットでこの博物館を見ますともう紫電改のことは載っていないようですね。 長崎に原爆を投下したB-29のBoxcarは当時も展示されていましたが、今も展示されています。
by エド (2006-12-06 21:56) 

maeboo.

エド K.さん、こんばんは
紫電改を至近で見られたのですね。羨ましい。
日本人だとわかり、ロープを解いてくれる係員の度量にも敬服します。
僕は愛媛に行くしかないようですね。
by maeboo. (2006-12-06 22:30) 

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