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僕の歩く道 いつもそこに [僕の歩く道]

いよいよ、次回で最終回となってしまいますね。

次回は拡大版ですので、お間違えの無いように。

真樹さんも今ではすっかり、輝君のことを考えているようですね。テレビの番組も興味深く、観て、考えているようです。

第十話では職場のみんなの様子はあんまり描かれていませんでしたが、すっかり信頼関係が築かれているようですね。

そして、家族のこと。これは当日の記事で書きましたが、分かっているから溜めてしまうもの。その吐き出しようが無い時についつい、親に兄弟妹に、息子に娘にぶつけてしまう。

でも、いい事も悪い事も真正面からぶつかるからこそ、がっちりと受け止めあい、今まで以上に強い関係でいられる。

 

ぶつかり合う物質はその方向がずれているとはじかれて違う方向に行ってしまう。
周囲の目を気にして、再婚をし、周囲の目を気にして子供を作ろうとする。
結婚というのはいつまでも仲良くする約束。その言葉が重くのしかかる。

つらい時に、大竹一家の暖かい家庭を羨み、つい母に電話番号を押す。
安心できる場所を探していたのだが・・・。

母から帰ってきた言葉。都古はきびすを返し、思うがままに足を進めた。
それが森山動物園であり、輝のそばだった。

 

さて、最終話に向けてじわじわとテレビの前にいる人も増えているようですね。
これも「僕の生きる道」とおんなじみたいです。

オープニングタイトルの雰囲気を見ても、当然、僕の生きる道を意識している。

でも、僕の生きる道は初回から・・・いや、番宣の時から確実なエンディングが用意されていた。

余命一年という宣告を受けてからの主人公、中村秀雄の28年よりも長い1年間のお話。最終話では、予想外なことは起きず、主人公は旅立ちました。
ただ、劇中の台詞 「死ぬことって終わる事じゃないですよね」「そうだよ」・・・あのドラマは用意されたエンディングに対して、そこに向う道と、そこから続く道が出来ました。

今回の僕の歩く道はどうか?

ここには予め用意されたものはなく、初回から広がる大きな空間があった。
果たして、最終話に向けてどこに行くんだろう?と思ってました。いや、今でも分からない。

僕の歩く道の記事の中で最初のほうに大きな木をどう呼ぼうなんて言ってましたね。思い出の木とか、チリンチリンの木とか・・・。

僕の生きる道の「約束の大きな木」と同じようにあの大きな木は何かの象徴なんでしょう。

あの大きな木、夕暮れ時や青空の時でも常に引き気味に撮影しています。
あの円形公園の中を輝や都古、古賀さんも訪れていますが、彼らが歩く中、大きな木はいつも同じ場所に立っています。

輝や都古にとって、数々の思い出があります。いじめられっこから守ったり、辛い時に訪れたり、再会の場所だったり。

あの大きな木は「不変」な何かの象徴なんでしょう。変わらないのではなく、変えちゃいけない何か・・・。

損得勘定抜きでぶつかる輝そのもの。裏切る事は無い。
だからこそ、安心して帰ることが出来るのでは。

そして、その大きな木は円形公園のど真ん中にあります。
人はそこから放射状にどの方向へも進む事が出来ます。それは自らの意思で進みます。そして、場面場面で誰かを助け、助けられるのでしょう。

何かあっても、また大きな木に戻ればいいのですから、人は勇気を持って何があるか分からない無限に広がる世界に足を進める・・・いや、ペダルを漕ぎ出すことが出来るのでしょう。

最終話、心待ちにしています。

 

 

 

あんまりいい写真では無いので掲載しようか否か迷っていたんですが、折角なので蔵出ししておきましょうか・・・。

輝おじと幸太郎
             
幸太郎! 父走る、探す

新世界

輝、どこに行ったの?

都古、犬の散歩

伝説に逢える店

 

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「僕の生きる道」・「僕と彼女と彼女の生きる道」・「僕の歩く道」のロケ地写真等を収めているホームページ「書斎は四畳半」はこちらから

※古い記事ほど、下の方にあります。


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