4月2日 流山に入る [新撰組]
決算処理も慌ただしいけど、営業マンは外回りもしなくちゃいけません。
柏の得意先に行った後、お昼ごはんの時間にちょっと寄ってみました。
場所は流山。
江戸川の土手では菜の花(で、いいんですよね)が咲いていました。
朝からの強い風はちっとも治まりませんが、天気は良くなってきました。
ここは以前、渡し船のあった場所。
丹後の渡し
4月1日に綾瀬を出発した新撰組が流山に到着したのが、今日4月2日でした。
・・・・・・・あ、あの頃は旧暦だ・・・・。
気を取り直して、進みます。
(尚、記事の進行と撮影順は異なります。ご了承ください。)
ここが多分、丹後の渡しのあった場所。
堰が見えますね。
上流へ行けば、また新撰組ゆかりの場所となるのですが、風が強く大変な思いをしました。
近藤勇も土方歳三もこの菜の花を見たのかなぁ・・・と一瞬考えたけど、旧暦だ!
4月2日ってことは風薫る5月ってことですね。
でも、そちらのことは後程書くとして、丹後の渡しから流山入りした隊士達。
本隊は以前にも行った、長(永)岡屋さんを本陣としましたが、入りきれない為に他にも分散して駐留します。
光明院さんです。
・・・・・・・・・・。
あ、一番上に書いてありましたね。
こちらが光明院さんです。
また、光明院さん以外では
流山寺さんにも隊士が分宿します。
流山寺さんは建物が近代的となっていました。
新撰組ゆかりとは言えないようですが、光明院さんのお隣は
どーんと太いしめ縄が・・・
赤城神社さんです。
maebooさん、流山探訪お疲れ様でした。お忙しい中たいへんでしたでしょう。綺麗な写真つきの情報をたくさんありがとうございました。今度旅行するときの参考にします。
写真から推察するに、流山はのどかな田園風景の残っているようですね。あまり人けもないようですし。
ここからは私の想像ですが、現代ですら田舎然としているのですから、幕末には江戸や京都とは比較にならないぐらい田舎然としたところだったことでしょう。
つい一年前には王城の地、京都で誰からも畏怖される最強の軍団を率いた近藤や土方が、この地に駐屯したときの胸中はいかばかりだったのでしょうか?
栄光と没落のドラマに興趣は尽きません。結果を知っている後世の者は気楽でいいのですが。
by 南風 (2009-04-03 00:16)
南風さん、こんばんは
いえいえ、思いださせて下さいまして感謝しております。
ついでですので、いつでも寄ろうと思えば寄れたんですが、寄ろうとしなかっただけなんですよね。
写真で見る限りのどかと思えますが、高速道路の出入り口があり、大きな道路からちょっと外れていますが、大きなトラックもたくさん通ります。でも、仰る通り新撰組がここに来たときは、もうちょっと静かな場所だったのでしょう。
by maeboo. (2009-04-04 01:04)