4月3日 今生の別れ [新撰組]
この記事を書いた段階で、もうすでに4月3日ではなく4月4日なんですが・・・、まあ旧暦と新暦の違いもあるって気が付いていることだし、あまり気にしないで書こうと思います。
4月2日に流山に入った新撰組ですが、3日には官軍に囲まれて大久保大和(近藤勇)は投降したと言われます。
副長の土方歳三の勧めだったのか、本人の意思なのか今となっては分かりませんが、近藤勇と土方歳三はここで永久の別れとなりました。
本陣として使われた、酒造長(永)岡屋さんの蔵です。
この二階で局長と副長が話し合い、別れたとも言われています。
顔を出すようなタイプだったような・・・・
局長は投降後、ここから連行され、板橋で処刑されます。
矢河原の渡しから丹後の渡し方面を眺めてみます。
さて、流山といえば・・・
ここからどうぞ。
流山鉄道の車両です。
maebooさん、流山探訪の続報拝見しました。大いに参考になります。本陣跡は見たいですね。それにしても現在まで保存されていたことにびっくりしています。それとmaebooさんのフットワークの良さにも感心します。
それにつけても今も昔も新撰組の人気は衰えませんね。これも凄いことと思いませんか。
by 南風 (2009-04-06 01:51)
南風さん、こんばんは
本陣は思ったほど大きくありません。
酒蔵長岡屋に本陣を構えたとのことですが、この本陣跡の横は酒屋さんです。
フットワークが軽いというより、自分の欲求に素直なだけかもしれません。
それに営業職だと、お客様の都合と自分の都合で時間を自由にできることも多いです。(その逆も多いですが)
流山は週に1,2回通過しているので、敢えて昼食を流山で摂り、自分で決めた昼休み内で行動しています。
場合によってはお昼抜きになっちゃいます。
by maeboo. (2009-04-06 23:28)
maebooさん、こんばんわ。
GW中に、流山市へ行ってきました。maebooさんの記事にある新撰組の本陣跡や光明寺、赤城神社などを訪ねました。この記事が参考になって役立ちました。ありがとうごさいました。
流山市は全くの初めてでしたが想像していたよりは大きな町並みでした。百四十年あまり前に新撰組の隊士たちが起居していたであろうことに感動しました。近藤や土方の胸中をさまざまに想像しました。
利根川も初めて見ましたが、川を見るとどうしても方丈記の冒頭の一節が浮かんできました。
当日は町のボランチィアの女性が新撰組の当時の足取りなどを解説してくれたり、関連グッズを販売されていました。それと流山鉄道の列車の車体に山形のダンダラ模様を入れようとの森田健作知事などへの嘆願書の署名も集めていました。新撰組の人気は高いですね。流山を訪れる人も多いようです。
by 南風 (2009-05-10 00:11)
南風さん、おはようございます。
流山に行かれたんですね。良かったですね。
新撰組ゆかりの地ですが、流山全体からみると観光資源としては乏しいらしく、勇忌などのイベントなどはやはり有志の力に頼らざるを得ないようですね。さっき市のHPを見てみたら、近藤さんのご子孫も参加されているようです。
流山鉄道のペイントも難しいですよね。流山市以外の県民からみたら県税の使い道として応援しにくい部分があるかもしれませんよね。
県を頼るより、多少デザインとしては残念になるかもしれませんが、スポンサーを見つけてラッピング電車にした方が可能性が高いと思います。
by maeboo. (2009-05-10 07:06)
maebooさん、こんばんわ。コメント拝見しました。
私はもっと楽観的に考えているんですよ。
新撰組人気があまりにも高いので、車体のダンダラ模様はおろかそのうち近藤と土方の別れの場の像すらできるのではないかと。
新撰組人気にあやかりたい者の思惑と、常に何か新しいモニュメントを求める観光客心理とが一体となって、名所が名所を再生産していくパターンになっていくのではないでしょうかね。
私はそれはそれで結構なことだと喜んでいます。新撰組物語の魅力の証明でもあるように思いますから。
by 南風 (2009-05-11 21:34)
南風さん、こんばんは
なるほど、楽観的に考えるのも道が開けるチャンスかもしれませんね。
流山鉄道・・・じゃなくて、今は流鉄という略称みたいなのが正式名称となっていました。
Wikiを読むと、日本の旅客鉄道会社で唯一公式HPを持たない会社だそうです。
普通、こりゃまずいって思いそうですが、規模の小ささを活かして新撰組掘り起こしは面白いかもしれませんね。
新撰組関連場所、まだまだ行きたいところはいっぱいあります。
壬生、会津、函館・・・。
by maeboo. (2009-05-11 22:13)