横浜の思い出 マイカル本牧 [ライフ]
横浜の写真を沢山掲載し、記憶の中に埋没しつつありながら、蘇ってきたお店もある。
私の中では、現在「被写体」の街になってしまったようだけど、20代前半までは何かをする場所だった。
先日の記事以来、色々と思い出してみました。
「横浜」と括っているけど、実際にはもう少し広い意味で通っていた。
今日思い出してみるのは・・・
本牧。
マイカル本牧。
横浜港にベイブリッジが開通したのと同じ時期に、ヨーロッパみたいな街が本牧に完成した。
マイカル本牧。
田舎者の私からみれば、予想だにしない街でした。
そりゃ、でっかい商業施設はありましたけど、あんな街自体が統一感を持って運営しているところは無かったと思う。
私を含めて田舎者たちはこぞって車でやってきた。(多分、駅から歩いてくる・・・という立地条件ではない)
道路を挟んであちこちに南欧風の建物が建っている。その一部は駐車場専用の建物。
収容台数はそこそこあるけど、とにかく待った。
やっとの思いで車を停めて中に入る。
色んなブランドショップもあった。
当時、好んで来ていた服がNAUTICA(ノーチカ)。
マイカル本牧にも入っていました。
ただ、そんなに頻繁に服を買う、お洒落さんではなく、一番よく来たのは食事ですね。
もう店名は忘れちゃいまいたけど、よく訪れたのは何番館かの最上階にあったビュッフェスタイルのお店。
ビュッフェと言ってもしっかりとした、メニューで美味しかった。
そのほかにはイタリア料理のお店。
入った瞬間に店中の従業員からイタリア語で話しかけられる。
純国産品の私には何を言っているのか分からなかったが、まあ、いらっしゃいませということなのだろう。
高校生の頃、友人らとシェーキーズのピザ食べ放題によく行っていたのだけど、このマイカル本牧の何番館かの1階にあったイタリア料理でピザは薄い生地が美味いんだと気がつかせてくれました。
マイカル本牧によく行った理由の一つ・・・映画館。
以前、他のエントリーでも書きましたが、当時は映画館で映画を観まくっていた頃。
で、マイカルの映画館のシートは当時としては画期的だった。
腰痛持ちの私でも長い映画が耐えられる。
そして、椅子の肘かけ部分にジュースやポップコーンが置いておける収納部分があった。
今でこそ当たり前かもしれないけど、当時としては最先端の設備だったと思う。
マイカルとは経営が違うけどディズニーストアが出来たり(これも当時はあまり無かった)・・・・(あ、調べたら国内のディズニーストア1号店でした)、南欧風とは言えないけど美味しいラーメン屋さんが近所にあったりして、このエリアには本当によく来た。多分、最低でも月1で食事か映画を観ていた。
最初、あれだけ並んだ駐車場も、どこどこの駐車場は混みにくいって理解して最初からそこへ目指した。
さらにどこの駐車場も殆ど並ぶことが無くなった。
大好きだった最上階のお店が閉店し、テナントに入っているお店が、どこでも見かけるようなチェーン店が増え始めてきた。
最新鋭だった映画館も、次々と充実したシネマが増え始めた。
足が遠のいた。
気がつけばマイカル本牧はゴーストタウン化したそうだ。
数年前に仕事の途中で寄った。
近くにロケ地があり、そこへ行くついでにマイカル本牧の町並みの間を走ってみた。
で、驚いた。
あんまり変わっていなかった。
外観の南欧風はそのまま。
そうか、建物の中が空いていたり、変わっていたりしたんだろうな。
そんな数年前の風景も今、また変わっているかもしれない。
商業棟だったところもマンション化されるようだし、切り売りされているから新しい主は統一感を出してくることはないだろうし。
でも、そうやって住民が増えたら、また街も盛り上がるかもしれませんね。
今度、行ってみよう。
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