写真で振り返る、2011年 第1位 [ライフ]
写真で振り返る、2011年
今年一年を『写真』関連で振り返ってみるこの企画。
第1位は
これです。
貼り忘れではありません。
この第1位の記事には写真がありません。
このブログはドラマや映画関連の事も沢山書いていますが、それ以上に日常のことを書いています。
ここ数年は写真を沢山掲載していました。
どこかに行ったり、目的もなくブラブラしながら街撮りをしています。
そんな私。
今年1位が写真無しと言うのは・・・。
約2か月間、写真を撮りに行こうと思わなかった事。
紀行目録②を見ていただけると分かるかもしれませんが、3月6日に亀戸天神に梅を見に行き、次のカメラぶらぶらが5月4日の新宿御苑まで飛んでいる。
この間にあったこと。
東日本大震災。
会社から徒歩で帰った私。
あの日の朝、後輩から貸していたカメラを返してもらっていた。
後輩がデジタル一眼レフに興味を持ち、購入するかどうか悩んでいたので、最近使っていない前の機種X2を貸しておりました。
会社から帰るうえで、長丁場になると思い、両手が空くカメラバッグを襷がけにして自宅に帰りました。
あの日、私はカメラを持っていたのです。
しかも、あの日装着していたのは一番明るいレンズ。
帰り道、帰宅難民で溢れた都内の様子を撮ろうと思えば撮れましたが、まったくそんな気がしません。
直前に撮影し、書きかけだった亀戸天神の記事も投げ出したままとなり、途中で終わらせてしまった。
被災地から伝わってくる被害状況。
ひっきりなしに起こる余震。
見えない放射能の恐怖。
原発を冷やす為、自衛隊がヘリで海水を投下している時、私はヘルメットを被り緊張した面持ちの後輩を載せて車を運転していた。
自社倉庫へ向かうため、液状化したアスファルトを慎重に進み、アスファルトに沈んだ軽トラックを横目で見た。
どうにか使えそうな製品と処分すべきものを選り分けたが、4月の余震で全てがひっくり返った。
撮る気がしなかった。
しばらくすると被災地に行ってカメラで撮影に行く人が増えたそうだ。
色々な立場の人がいると思うけど、私は行くことを考えたことは無かった。
後世の為に、起きたことを伝えるべく記録することも大切かもしれないが、それは私の役目ではない。
もし、それが出来るなら、そこそこ力はあるつもりなので何かお手伝いをしていただろう。
ただ、私生活の事情で被災地にお手伝いには行けなかったので、出来る範囲のことをしたつもりです。
カメラは不思議なもので、肉眼で見える物も、レンズや画面を通して見ると違うように感じることがある。
今回の地震、そして津波に関する画像。そして映像を見ようと思えば沢山見ることが出来る。殆どの携帯電話に高性能のカメラが搭載されており、防災カメラや防犯カメラを含めて沢山の映像が残された。
4月に入ると、週刊誌などで正視出来ない写真も掲載される。
使命感により自分の気持ちを奮い立たせてレンズを向ける人がいる。戦場カメラマンであったり、東京大空襲後の焼野原と多くの亡くなった人を撮影した石川光陽巡査。彼は本当は撮りたくなかったという。
逆に、カメラによって目の前の事が、遠い事に感じることがある。
目の前で凶悪事件が起きていて、沢山の被害者が出ていても携帯液晶に映る映像はまるで別世界のようで怪我をした人が居ても手を差し伸べることを考えない。
また液晶画面の中を追いかけると、自分の足元が見えなくなることがある。ある有名な漫画家さんもカメラを持って崖下を撮影しようとして足を踏み外したと言われている。
光学的ファインダーのあるカメラと、最近主流のファインダーの無いコンデジや携帯カメラ。
液晶画面がテレビの向こうの風景と感じてしまうのだろうか。
そんな事を考えているうちに4月は過ぎた。
日常を取り戻し、経済活動をちゃんと行うことが最終的には復興につながると言い聞かせて、ゴールデンウィークにはカメラを持って出てみた。
だけど、気分は晴れなかった。
時は残酷で時は優しい。月日を憎み、月日に助けられた。
今、カメラを持ってブラブラしている。
だけど、忘れたつもりはない。
今年、2011年に起きたこと。
今年、2011年に思ったこと。
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