2011年師走 いざ、鎌倉へ 源頼朝の墓所 [紀行]
鶴岡八幡宮の東側の鳥居を出て、頼朝の墓所へ向かいます。
え~っと、このあたりから全くのノープラン状態。
道も頭に入っていません。
最近は便利になったもんで、携帯やスマホでナビなんかも使えますが・・・
使いません。
案内板や地図が街角に現れるのを期待しながらのお散歩です。
案内板が指し示す矢印がジグザグになっていて、曲がる場所に自信が無い(涙)
それなのに、後方にはご夫婦なのかカップルなのか落ち着いた男女がついてくる。
たまたまだと思っていたけど、やや非効率な道順を選んでもついてくるから、目的地は私と一緒で、且つ私の後をついていけば目的地に到着できると思っているのだろう。
さあ、困った(涙・涙)
小学校の校庭の周囲をなぞるように歩く。
またもよ十字路でない場所で曲がることになりそう。
さあ、どこかなと思っていると狭い道の割にタクシーがどんどん曲がっていく。
観光シーズンになると鎌倉は渋滞する。
タクシーの運転手なら迂回路も良く知っているのだろう。
だから、あの道は迂回路か・・・観光目的地がある。
その道に入ってみる。
やっぱり、ついてくる・・・。
タクシーは頻繁に通り抜けていく。
道が狭いので、前後から来るとそのスピードは著しく遅くなり、そこに歩行者が出くわすと誰かが完全停止しないと事故になるだろう。
私も、いかにも観光客らしき人物を辿ればと探すも、いるのはいかにも地元っぽい方々ばかり。
歩いた距離からこの周囲だろうなと思ったら交差点左手に遠くの方に石段が見えた。
ほっと安心しながら足を速める。
白旗神社さんに到着。
白旗と言えば、源氏の旗印ですね。
石段の下にお社がありますが、上に墓所があるようです。
鎌倉に来て、このような石段を登るのは何度目かな?
手すりもあり、高所恐怖症でもここは全く問題ありませんでした。
で、いつも通り私はお墓を撮影することはあまりしないので・・・
ここに法華堂があったそうです。
石塔は島津重豪が建てたそうですが、廃仏毀釈により法華堂が取り壊されます。
海外の宗教的な話ではなく、日本でも神道国強化により仏教が弾圧されていました。ほんの一世紀ちょっと前の話です。
先ほど訪れていた鶴岡八幡宮も明治になる前は鶴岡八幡宮寺でした。 この時に多くの物が失われています。
これは鎌倉だけでなく日本全国でのこと。
さて、脱線しましたね。
先ほど登った石段を振り返る。
歴史上の人物として、あれだけ名を馳せている源頼朝の墓所ながら、人が少ない・・・。
後方からついてきた二人は石段下の白旗神社さんにお参りしている最中らしく、この墓所には私一人。
頼朝のお墓の横にこんなスペースがある。
平治の乱での源氏敗北により、頼朝は伊豆に、幼い弟である希義は土佐に流刑となる。
21年後、頼朝の挙兵がきっかけに希義は平家側に討ち取られ、頼朝・希義兄弟の再会は無かったそうです。
兄、頼朝はその後、希義を討ち取った平家家人の蓮池・平田を大軍で攻め入り滅ぼしています。
しばらく墓所にいましたが、下から先ほどの二人が上がってきましたので入れ替わりに石段を下ります。
白旗神社さんです。
鶴岡八幡宮さんの境内にもあり、東日本各地に所在します。
「勝利」のご利益もあり。
さあ、「勝利」にも色々あります。
受験シーズン直前、次はあそこへ行ってみようか。
ちなみに、頼朝の墓所へ行く以上に行き方が分かりません・・・(涙)
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