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百年ののち(4) [紀行]

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乃木坂、乃木邸内にある乃木希典さんと子供の像。

浪曲にもなり、よく唄われた乃木将軍と辻占売りの少年とのお話を表した像です。

少将時代に金沢を訪れた際に街頭で辻占をし、祖母と弟妹の生計を立てている話を聞き、2円を渡し励ました・・・と言う。

その後、その少年は立派に成功したとの事。

 

さて、それが乃木邸にあるのも何だかなぁ~と思っていたら、元々は別の場所(六本木)にあったらしい。

 

 

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そんな将軍と少年の像から目を移す。

普段なら、デッキから邸内を見ることが出来るのですが、昨年の震災の影響で入ることが出来ませんでした。

 

 

 

 

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そして、デッキからだけでなく邸内に入れる特別な日がありました。

9月の二日間だけ。

昨年の9月の特別公開も中止だったようです。

 

その特別な日。

乃木希典さんと聞き、思い浮かべることは沢山ありますね。

幼少時の片目失明。

弟と敵味方で戦った萩の乱。

西南戦争での軍旗喪失。

度重なる旧職。

息子たちの戦死。

旅順攻囲戦、203高地。

そして・・・殉死。

 

 

 

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多くの部下の命を失った、乃木さんは帰国後に明治天皇に報告、割腹し詫びをすると申し出るも、死ぬなら私(明治天皇)がこの世を去ってからにするようにと答えたそうです。

乃木さんはその言葉通りにします。

死なない事も、死ぬ事も、その通りに。

 

水師営の会見の写真も有名ですが、直前に静子夫人と一緒に撮った写真も有名ですね。

正装をし、椅子に座り新聞に目を落としている乃木さんと、後方で立ちカメラを見つめる静子夫人。

撮影後に宮中を訪れ、明治天皇に最後のお別れをし、弔砲と寺の鐘の音の中で明治天皇のあとを追いました。

 

しかし、乃木さんの評価は「本」が大きな影響を与えます。

明治から大正期、多くの文豪が、乃木さんの殉死について書きます。

評論であったり、物語であったり。

武者小路実篤、司馬遼太郎、夏目漱石・・・

 

私たちの歴史の勉強にも多少なりとも、彼らの評価が影響しているのかもしれない。

 

 

乃木将軍の殉死から今年で100年。

100年と割腹で、思い出した人がいる。

大西龍治郎さん。

「特攻の父」「特攻の生みの親」と言われた提督。

乃木さんのエントリなので、大西さんの評価はここでは書かない。


特攻を「統率の外道」と言い、「わが声価は棺を覆うて定まらず、百年ののち、また知己なからんとす」と言った。

大西龍治郎さんは死んで100年経っても、自分の評価も行動も理解できないだろうと言った。

そして彼は終戦(一応8月15日)の翌日、割腹自殺をする。

乃木将軍同様、介錯は無し。

大西龍治郎さんは半日苦しみ、発見されたときには命があったが治療を拒みます。

大西さんの辞世の句

これでよし 百万年の 仮寝かな

百年で経っても理解できないどころか、百万年も安らかに眠るつもりは無い。

 

そんな百年という月日が、乃木さんの殉死から経った。

今年の9月には、もしかしたら色々と取り上げられるかもしれない。

「坂の上の雲」も放映されてきましたね。

 

現場の指揮官、トップの采配もありますが、現場の声を聴かず中央からも無理を言うのも日露戦争でも太平洋戦争でも同じ。

少し、このあたりの本を読み漁って、自分なりに考えを持ってみよう。

百年ののちに。

 

 


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