今度は登城(3) [紀行]
とても急な階段を昇り、何とか6層目まで。
天守閣最上層です。
平日にも関わらず多くの見学者が昇りづらい階段を昇ったのは最上層を一目見ようと思うからこそ。
しかし、城の最上層は決して広くなく、眺望も金網付の窓越しからの眺めの為、カメラで写すには厳しい状況。
さらに、その最上層の様子は写真に撮ろうとすると、精も根も尽き果てた人生の大先輩たちがしゃがみこみ、海外(多分、アメリカ)からの旅行者も骨格が日本人とは違うので、私たちが感じる以上に狭い思いをして苦笑いをしていた。
何度か観た風景なので、その海外からのご夫婦に窓からの眺望はお渡しする。
そんな私はカメラを最上層の天井の方に向ける。
守護神二十六夜社
説明書きを読んでみると、小屋梁の上に二十六夜社を勧請したのは1618年との事。
二十六夜の月が昇る頃、二十六夜様が美婦となって天守番の前に現れ、吾を奉祀し、毎月26日に三石三斗三升三合三勺の餅をついて斎き、藩士全部にそれを分け与えよ。そうすれば安泰だと。
明治維新までそれは続けられ、天守は無事に今日に至る。
と、書かれていますが、明治維新以降はこのお告げを実践していなかったのでしょう。
そうですよね、廃藩置県により「藩士」はいない訳ですから実行不可能です。
その後、松本城天守も波瀾万丈となりますね。
競売にかけられた天守は旧藩士らが買戻しをしています。
さらには二ノ丸御殿が全焼。
そして、天守はドンドン傾き倒壊の恐れがあり。
明治後期に大修理が施されたそうです。
今でも、二十六夜神例大祭が執り行われています。
ずっと、安泰で居て欲しいですね。
さて、多くの人とすれ違い、昇る時とは違った恐怖を味わいながらお城を降りていきます。
広く、ホッとできる場所がありました。
月見櫓
窓を開ければ、西以外の三方向が見渡せる場所。
これまで観てきた松本城は防御機能面重視だったので、この櫓は風流だと思いました。
夜来たことがありませんが、月も観てみたいですね。
どうやら増築された櫓のようですね。
江戸時代もしばらくすると、城に籠っての戦闘は考えにくかったので、このような風流な面を取り入れたのでしょう。
加藤清正が江戸より熊本に帰る途中、松本城に立ち寄った際、松本城主石川康長の歓待を受け、さらに土産用に馬を二頭この桜につないで清正公に好きな方一頭を贈ると言われ、自らの目利きで選ぶことが失礼と言い清正公は二頭とももらったそうです。
いやぁ、男だねぇ。
左手前が月見櫓。
うん、確かに城全体の中で違った雰囲気を持っていますね。
どう?
傾いていない?
さあ、帰りましょう。
ちょっと、あそこにも寄っていくか。
お城は、外から眺めるものなのかも知れませんね。
中は思った以上に狭いし階段も急です。当時の暮らしを見てみたい。
江戸城は広いのかも知れませんが、時代劇では、結構広い設定が多いような。
でも造りはかなり工夫されているみたいですね。その地域では最高の建造物であることには間違いありません。
by saki (2012-06-03 17:05)
sakiさん、こんばんは
お城は外から眺めた方が良いかもしれません。
ただ、主という立場なら中もいいのかもしれません。
城って、堀の内外含めて「城」だから、常日頃天守閣にいる訳じゃないし、松本城の天守も6層でなく4層目に城主が座る場所がありました。
松本城一の急角度の階段以上に城主が昇ると言うのは緊急事態というより、最後の手段なのでしょう。
国宝松本城ももしかしたら民間払下げ直後解体の可能性があった訳ですから良かった良かった。
犬山は逆に個人(城主)の所有物だったものが譲渡されたパターンもありますが、後世に残してほしいですね。
by maeboo. (2012-06-03 19:15)