コンビニ以上にコンビニエンス [ライフ]
我が家の近くにコンビニが出来たのは子供の頃。
まだ、そのチェーン店の名前のとおり午前7時から午後11時までの営業時間だった。
折込チラシの切り取り線にそってクーポンを切り取り、開店当日~3日目までに持っていくと、いちごかメロン味のシャーベットが溶けたような飲み物を紙コップに注がれ、太めのストローの先がスプーンの形のしたそれで掬って食べ、吸い込んで飲んだ。
そんな我が家周辺に出来たコンビニも、開店当時は買い物をする上でそこを選ぶのは決していの一番ではなかった。
私の小さな頃のコンビニには、雑誌・ジュース・パン・ラーメン・調味料・おにぎり・サンドイッチ・文具等。
お酒も、タバコも、コンビニブランドにしたOEM商品もなかった。
価格も近所にある地元密着型のスーパーの売価より随分と高かった。
専業主婦だった母親が、家族全員が生活するのに必要なものをコンビニだけで済ませること出来ず、最初に書いたとおり、コンビニチェーンの名のとおり、朝7時から開店しており午後11時まで営業していた・・・それがコンビニを利用する最大の理由だった。
じゃあ、私や母親、近所の家庭はどこに買い物に行っていたかというと、地元密着のスーパーもあったけど、一番『コンビニ』だったのが、歩いて2~3分のところにある商店街。
戸越銀座商店街のような、でっかい商店街ではなく、長屋のような商店街。
アパートの1階部分が店舗であり、店の奥が居住スペースになっている。
一応、障子など仕切りがあるけどほとんどのお店が中まで見通せた。アルバイトを雇わなくても、「生活」からすぐに「商売」へと戻ってこられる状態。
その商店街の構成は
「八百屋」「赤ちょうちん」「乾物屋」「肉屋」「クリーニング屋」「不動産屋」
だった。
ん?これでは物足りないって思うかもしれない。
まずは「八百屋」
果物は当然だけど、「酒」を売っていた。
正確にはお店には「酒」を置いていないが、実の兄弟が100mも離れていないところで酒屋をやっていた。
八百屋さんで頼めば、酒も配達してくれた。
そして、コンビニ以上にコンビニだったのが「乾物屋」
子供が乾物屋で干しアワビや、椎茸など買うはずもない。
乾物屋には「豆腐」「米」「パン」「生魚」「お菓子」「ジュース」「各種調味料」・・・などなど、商店街の他の店舗では扱っていない物をほとんど置いていた。
そろばん塾に行く途中に、肉屋でコロッケを買ってお腹を満たし、そろばん塾の帰りに私を見つけると乾物屋のおばちゃんが売れ残った「肉まん・あんまん」を食べなさいと渡された。(正確には肉まん・あんまんの可能性は低く、カレーまんかピザまんの可能性が高かった)
クリーニング屋の前を通ると、預かり票を持っていなくても仕上がった方と衣服類を渡されて、家に持って帰った。
年末年始は当然休むので、数日分をまとめて配送もしてくれる。
コンビニの開店時間(午前7時から午後11時)には負けるけど、開店前・閉店後・休業日だって勇気さえあれば裏側からチャイムを鳴らして買うことも出来た(笑)
そして、買う人・売る人の殆どが顔なじみであり、誰からも褒められて、注意された。
幼稚園に上がる前に、商店街の端っこで車と接触した事がある。
その時の連絡網は凄かった。携帯電話など無い時代だけど、個人情報保護法も無かった。
私の家もちょっと離れたところで商売をしていたから、商店街の皆さんもお得意様でもあった。
事故の時には、あっという間に役割が決まり、我が家に連絡へ行く人、親父がやっている店に電話をしている人。救急車を呼んでいる人、降りてきた運転手を取り囲む人、集まってきた近所のやじうまに状況を説明する人。
全員店から飛び出しているから、店には誰もいなかった(笑)
余談だが、その接触事故で私の体には自動車のボディは一切触れていません。
私が乗らずに押していた三輪車にぶつかったのです。
はずみで私も転びましたが、痛いというよりも大勢の大人に囲まれてびっくりしたという方が正解かもしれません。
商店街の前を歩いても、どこの子供か全員知っていたので、事故は起きるかもしれないけど誘拐事件の発生の可能性は低かったでしょう。
知っている子供と知らない大人の組み合わせを見たら、絶対あの人たちは声をかけていた。
しかし、大手チェーンのスーパーマーケットが近所に出来て、コンビニも少しずつユーザーニーズを把握してきた頃、私は大医学生になり、深夜に小腹が空くこともあった。
コンビニチェーンの名前とは裏腹に24時間営業となり、競合のコンビニも数軒出来た。
それでも商店街は頑張ってきたけど、ずっと前から「便利屋」だった乾物屋さんのご主人が亡くなり、しばらく奥さん一人で店を開いていたが、ついに閉店となった。
その他沢山を扱っていた乾物屋さんの閉店により、その商店街だけでは全ての商品が揃わなくなった。
物心ついた時から商店街だったアパートは老朽化のため、取り壊しとなった。
期限まで、徐々に徐々にお店は閉店していった。
クリーニング屋が舞台の小説を読んで、ちょっと思い出しました。
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