僕の生きる道 放映開始から10年 (8) [僕の生きる道]
ドラマ「僕の生きる道」の放映から丸10年。
10年間、大切にしてきたドラマなので10周年を記念して、ただただ書き綴っています。
今日はロケ地。
ドラマ放映から5年後に山梨に行き、韮崎・北杜市を車で駆け抜けて王仁塚の桜や真原の桜並木などを見てきました。
残ったロケ地・・・そう、屏風ケ浦。
中村先生が両手を広げ、十字架を表したのか?羽を広げたのか?
そして余命を自ら断とうとした場所。
ドラマの最終話からほぼ6年。2009年3月26日に行ってきました。
今日は屏風ケ浦・・・というより銚子訪問を思い出そう。
とは言っても、この銚子訪問はあまり良い思い出とは言えない。
仕事を午前中で終えて午後から千葉へ向かった。
仕事やゴルフで千葉を走ることは沢山あるが銚子は始めて。
屏風ケ浦へ行こうとは前から思っていたけど、撮影現場である断崖絶壁には立ち入れない事を知っていたのでずっと二の足を踏んでいた。
それでも行ってみようと思ったのは天気がよく、夕焼けが綺麗な日になりそうだったから。
銚子といえば犬吠崎。そして地球が丸く見える丘展望館で夕焼けを撮影したいから。
だからこの日は三脚持参です。
なぜいい思い出とは言えないのか?
銚子を侮っていた。
高速で歩いていど近くまで行けると思っていたが、そうでも無かった。東関東自動車道で行けるとこまで行って、あとは下道。そして下道は結構混んでいた。
東京の隣の県なのになんて遠いんだろう・・・。銚子市街に入ったのは17時すぎ。
銚子市街を抜けて、犬吠崎方面へ。
まず東大を尻目に君ヶ浜へ行く。
結構波が荒かった。
そして犬吠崎灯台。
おお、眺めが良さそうだな。
あれ?
16時閉館。もうとっくに閉まっていました。
あああああ。
気を取り直して地球が丸く見える丘展望台へ行こう。
ホントは銚子電鉄も撮りたいんだけど、日が暮れたら夕焼け写真が撮れなくなる。
ナビが付いていない車だけど、携帯のナビを使って向かう。
結構近い。駐車場に車を停めて、三脚とカメラを持って・・・
ああ、駐車場の案内板に書いてある。
AM9:00~PM6:30(4月~9月)
AM9:00~PM5:00(10月~3月)
この日は3月26日。来週だったらPM6:30まで営業しているのに・・・。
まだまだ夕焼けはこれからなのに。
駐車場からは地球は丸く見えない。
だけど夕焼けは見える。
駐車場で三脚を設置して、撮影。
飯岡方面に沢山の風力発電の風車が見える。
屏風ケ浦はあっちだ。
そうだ、僕の生きる道のロケ地を忘れちゃいけない。
東洋のドーバーと呼ばれる断崖絶壁には近寄れないが、そばは走れるじゃないか。
くじけた心をどうにか立ち直らして、三脚をしまい車を発進させる。
さあ、ロケ地へ。
夕焼け写真はもう限界かな?
飯岡の灯台まで我慢してくれるかな?
ドラマのロケ地の雰囲気がわかる写真(最初の写真)を撮って銚子ドーバーラインを走る。
飯岡灯台へ向かう道を走りながら風力発電機は一体何基あるんだろうかと考える。
しかし、そろそろ夕焼けも限界かな?
どうにか飯岡灯台に到着。
灯台は小さめ。
灯台に登ることは出来ないけど、飯岡刑部岬展望館「光と風」に登る。
とにかく風が強かった。
三脚を設置するも、私の体が安定しない。
光と風の展望館から眺める旭市の夕暮れ。
カメラのシャッターを切る度に夕闇が街を包んで行きました。
そして・・・ほぼ一年後の3月11日に私が眺めていた街に冷たい水が押し寄せました。
私が立っている場所が避難場所だったようで、警報が出て多くの人がここに集まりました。
私がどんなに思っても、あの日この展望館から実際に眺めた人達の心の痛みは理解できないのでしょう。
ドラマ内で金田医師が言ったように当事者しかわからないことなんです。
だから、このロケ地訪問は単に各施設間に合わなかったというどんくさい思い出だけでなく、後から痛みを伴ったロケ地訪問となってしまいました。
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