世田谷城跡 [紀行]
豪徳寺さんを出たあと、次の目的地があると思われる方へ歩き出す。
相変わらず、方向音痴ではないと自負しながらも、正確な場所を把握していないのだから効率良い移動など出来ない。
だから、思わぬ発見や巡り合いもあるわけで、豪徳寺さんのすぐそばに歴史的遺構を発見。
世田谷城跡。
現在では公園になっています。
公園にする為に手が加えられていますが、土塁や堀が分かります。
奥州吉良氏が構えた城。
源氏の流れを汲む足利一門。
足利義氏の子、長氏が三河吉良氏の家系となり、弟である吉継が奥州吉良氏の家系となっていく。
三河吉良氏の流れには、赤穂浪士でお馴染みの吉良義央(上野介)がいます。
で、世田谷城を構えたのが奥州吉良氏である。
戦国時代に北条氏に仕えるが、秀吉の小田原攻めで廃城となりました。
しかし、歴史的価値はありそうだけど、子供の頃にここで遊んだら、遊びにくいなぁと思うか、これは楽しそうだ!と思うか、どっちだっただろう。
後者なら・・・・・間違いなく傷だらけになって遊んでいたことだろう。
吉良上野介は、地元では名君だと聞いた事があります。
一部をクローズアップしたり、脚色したりすれば、その時代の事が正しく伝わるかわからないですね。
現代でも立場が変わると評価は変わる場合が有るので、流されない様にしないといけないなあと思う今日この頃です。
by saki (2014-02-02 10:38)
sakiさん、こんばんは
そうですね、様々な角度から物事を見てみると、浅野内匠頭も家臣のことを考えれば・・・という見解もありますし、何とも言えません。
吉良邸跡にも行きましたが、やはりあの場所への屋敷替えはいろんな力が加わったのかなとおも思えます。
ゴルフのパターも打つ場所からだけでなく、反対側やグリーンの外からも眺めると随分と違って見えますしね。(ああ、コンペが近い・・・)
by maeboo. (2014-02-02 22:52)