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裏目、恨雨、安曇野へ(7) [紀行]

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歴史はそこそこ好きなつもりだったが、穂高神社を訪れて自分の知識の少なさにただただ溜息。

穂高神社、木陰に建つ像。

読んでみると阿曇比羅夫の像とある。

『阿曇比羅夫』とあるのにまず頭に『阿倍比羅夫』が浮かんだ。

碑文を読み、やや混同しながらもとりあえず納得させた。

 

そしてこの記事を書き上げるときにもう一度調べながら書いています。

うーん、ややこし。

 

 

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で、結局は境内にある説明から抜粋します。

大将軍大錦中安曇連比羅夫

あれ?阿曇比羅夫の像の説明なのに 阿曇「連」比羅夫 となっている。連ってなんだ?

 

 

 

あ、説明文の右側にしっかりとその説明があった(笑) ヨクヨミナサイ

 

連・・・・・むらじ

ああ、連(むらじ)だ。学生時代に詰め込んだ記憶が少しずつ顔を出してきた。

氏姓制度ですね。

 

天智天皇の命をうけ船師170艘を率いて百済の王子を護送、救援して王位に就かす。

翌年、新羅・唐の連合軍と戦い、白村江の戦いで敗れて天智2年8月27日死亡。

阿曇比羅夫は穂高神社若宮に祀られており、命日は穂高神社の例祭(御船祭)の起因となったとのこと。

 

成程、今現在の例祭は9月27日。新暦になって9月となりましたが、かつては8月27日に行っていたようです。

 

 

 

 

 

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もう一度、鳥居のそばを通って狛犬を撮影。

 

 

 

 

 

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御神馬

 

 

 

 

さあ、お腹が減ってきたぞ。

 

 

 


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