ん10年前は [ライフ]
小学生の今頃は
どうしていたんだっけ?
あまりにも
あまりにも
昔過ぎて覚えていない。
小学校のクラスメイトの大半は近所に住んでいたので、夏休みであろうと四六時中会えた。
残りの半分はなかなか会えず、早く学校が始まらないかな~という気持ちが半分。
そして、ああ・・・・・宿題・・・・が半分。
気持ちだけは計画的にやろうと思う少年だったので
早めに配布されるドリルには真っ先に手を出した。
夏休みが始まる前に配布されれば、一気呵成に鉛筆を走らせた。
本当に計画的なら毎日決められたペースで進めていくのだろうが
私はイチかバチかのツインターボの大逃げのような勢いでドリルに立ち向かい
そして8月の声を聞く前にバテてしまう。
それでも田舎に帰る旧盆の頃になるとヤバイと思い、殆どの宿題は8月中旬に終えていた。
殆どはね。
殆ど・・・
必ず残ってしまう物が二つある。
いや、その年によっては一つしか残らない年もあった。
一つは自由研究もしくは工作。
自由研究の場合は『自由』という言葉に甘えて自由に課題設定をして完遂した。
自分で言うのもなんだが、小学生の頃からハマるとのめり込むタイプで、日本の干拓について調べ上げたら担任に相当褒められた。
私が小学生の頃、男子がよく取り組んだのが昆虫採集・標本。
実は私はこれをした事がなく、したいと思ったことがない。
虫が苦手かというとすごく好きってことはないけど、セミやカナブン、カミキリやカマキリ、とんぼなど捕まえること自体に抵抗は無かった。低学年のときは捕虫網を持って近所、そこいら中が原っぱだったから一日中駆けずり回っていた。
けれど、いつの間にか虫を捕らなくなった。
多分、旧盆の時にベランダでオヤジにお盆に殺生はダメだと教えられて以来、虫を殺すことをしなくなりました。
なぜ、あの日オヤジと私がベランダにいた理由は思い出せない。
そして、私の血を吸う蚊は夜中だろうと絶対仕留める・・・、これ例外ね。
という事で自由研究なら早めに終わらせていました。
だが、工作とテーマを決められると悪い癖が出る。
基本、自由研究と同じ。最初描いていたイメージをどんどんどんどん膨らませ、そこに実力以上の設計図を頭の中で描く。
いざ、木材にノコを入れ、釘を打ち始めると設計図から大きくはみ出す。
正直言えば、随分と親父に助けられたことか。
不思議と私の頭の設計図に近くなるように手助けしてくれたな。
当然、フィニッシュまでしてくれる程甘くなく、大人目線で難しいこの部分だけ手助けすればどうにかなるだろうと判断していたのだと思う。
そんな自分の思い出をカキモノにしたこともあったな。
さあ、これでひとつは片付いた。
そして最難関があった。
ホント、毎年毎年いい加減学習しろよと今の自分なら思う。
読書感想文。
これが本当に苦痛だった。
このブログでも書いたことがありますが、そもそも読書が苦手な子供だった。
全然、読めない。頭に入らない。
読めなきゃ感想も思い浮かばないし、原稿用紙に文字を埋めることなんて出来るわけがない。
親父やおふくろが代わって本を読んでくれるわけでも無いから、感想文を手伝ってもらえる訳でもない。
どうにか、少しずつ原稿用紙を埋めるけど、どうも言われた枚数を埋められそうもなく、やたらと改行をした記憶がある(笑)
少し涼しくなった8月の終わり、そして久しぶりに22:00前に帰ることが出来たので
ん10年前を思い出してみました。
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