ニイタカヤマノボレ [歴史と出会う]
公園にあるモニュメント
この日、既にフリーマーケットの出店者用の受付が始まっておりフレーム外には列が出来ていました。
受付が済んだ人たちは陳列の準備に取り掛かっており、よくよく見ればモニュメントの前にも紐が張ってあり、出店エリアと通路スペースがしっかりと分けられています。
この公園は行田公園。
中央競馬の中継で中山競馬場開催の時、そうだな、やっぱりGⅠレースなら有馬記念や皐月賞など。
中継時にスタンド前から向こう正面に引いた画像でよく映る団地。
それがこの公園に隣接する団地です。
この公園や団地がある場所。
地図で見ると、ちょっと目立つデザインとなっています。
地図でも航空写真の方が分かりやすいかな。
中山競馬場は広い敷地とコースがあるのですぐにわかると思いますが、その東側にほぼ競馬場と同じくらいの大きさで
「 円 」
が見えます。
円は道路となっており、貫く道もあります。
円の中に団地や学校、商業施設、公園などがあるのです。
ここはかつて、海軍無線電信所船橋送信所があった場所。
無線送信施設の定番の形は「円」
象の檻という言葉もあります。
そして、この送信所
大正五年には大正天皇とアメリカのウィルソン大統領がハワイを中継して電波更新をしています。
大正十二年の関東大震災の際にも救援要請を発信している。
平和的な利用もあるけど、歴史に残る送信がある。
ニイタカヤマノボレ
大本営から聯合艦隊へ12月8日に開戦、真珠湾攻撃を実施せよという命令が発信された場所です。
そして30分もすれば、太平洋戦争開戦を告げた電信所の跡地もフリーマーケットの出店で埋め尽くされることでしょう。
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