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そうだ、京都歩こう(20) 金閣寺 その3 [紀行]

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安民澤を左手に見ながらだんだんと高台に上がってきました。

そして右手を見ると開けた風景が。

舎利殿の三層が目線までやってきました。

団体観光客のガイドさんが

「金閣が見られるのはここで最後になりまーす」

とのこと

成程、もうちょっと撮ろうか。

 

 

 

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いやぁ、

直前まで来ようかどうか迷ったけど良かった。

心配していた天気も願いかなって晴れてくれました。

さあ、次行こうか

 

いや、人の流れは相変わらず続いております。

自分のペースで歩けないというのが疲労につながります。

実は鹿苑寺の次に向かう目的地については明確に決めていませんでした。

時間とか疲労感とかそれまで見てきた場所との関係とか直感とか。

これまでも、拝観するか否かなどスパッと決めてきましたが、迷いが出始めました。

明らかに原因は疲労感ですね。

 

 

さて、人の流れに乗って歩いていくと

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こんなものが

貴人榻(きじんとう)


説明板によれば

昔 高貴な人がすわられた腰掛石

室町幕府より移設されました

との事

 

 

悪い癖ですが

うーんと考えてしまう。

目の前では楽しそうにそこに座り記念撮影する人も。

 

見ていて思った。

貴いであろうと、そんなに長い時間座っているとお尻が痛くなりそう。

と、あまのじゃくが私の心の中で発動。

そして、もう一回うーん。

 

しばらく東アジアからの観光客が嬉々として撮影しているのを見て、まあいいかと思い回れ右。

 

 

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そしてここには8代将軍義政が愛用した富士形の手洗い鉢があります。

三代将軍義満の北山山荘を倣った孫の義政は東山山荘(銀閣を含む)の造営をしたので関係ないと言えばそうなんだけどね。

 

 

 

 

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よし、でここには

 

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夕佳亭があります。

元々は江戸時代に建てられた茶室です。

今回の紀行記事にも度々書きますが、京都の建物は焼失してしまったものが沢山あります。

消失の原因として挙げられるのが戦火。

応仁の乱や幕末のどんどん焼けなど。

その応仁の乱、西軍陣地(これが西陣織などの地域名の由来になりましたね)がまさに北山・船岡山あたり。

当然、激しい戦闘で焼失します。舎利殿は無事でした。

 

鹿苑寺は江戸時代に再び整備されていきます。

夕佳亭はその際に作られたものです。

宗和流の初代、金森重近(宗和)が監修しています。

 

夕日に輝く舎利殿を眺めるための茶室なのでしょうね。

そして、また夕佳亭も明治に焼失してしまいます。

再建されたそうですが、昔の古図が見つかったそうで宗和の頃のデザインに再修復されたのが現在の夕佳亭です。

 

 

 

 

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人の流れがここで変化します。

不動堂。

 

 

 

 

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本尊は弘法大師が作られたという石不動明王。

秘仏で年二回、開扉法要が行われます。

 

さて、不動堂を過ぎるとあらかた見学は終わり。

そして多くの人達が吸い込まれるように売店に行く。

飲み物だったり、みたらし団子だったり。

私は缶コーヒーを頂きながら、次に向かう場所を検討します。

この鹿苑寺までは概ね見学する場所を決めていたました。

その道中に気になるところがあれば立ち寄る事も。

 

さあ、描いていた通り東へ向かい、もう一つ観たい石庭を目指すか?

それとも疲労感が出てきたので、京都駅方面を目指しつつ、その道筋沿いにある北野天満宮さんや本能寺跡、二条城方面へ行こうか?

そんなに寒いと思っていなかったけど、徐々に日が傾き始め、雲が少し出てきて、座って身体を休めると冷えてきた。

これはイカンと思い、やっぱり気になるお庭を見に行こうと決心。

この日、一番長く感じた1kmを歩き始めます。


 

 


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