そうだ京都、今年の冬も行こう(11)寂光院その2 [紀行]
さて、寂光院。
前の記事に書きましたが、鍋を食べるために大原に来たという印象が強く、そして次に強烈な記憶として残っていることが放火による本堂消失。
寂光院を訪れたのは1990年代初めの頃。そして2000年5月9日、放火によって本堂が全焼してしまいます。
お寺の関係者、檀家さんとは比較できないと思いますが、やっぱり訪れたお寺さんの本堂が焼けてしまうというのはショッキングな出来事で以降、ずっと心に残っていました。
そして、旅が終わり撮った写真を家で確認して気が付いた。
・・・・・本堂を撮ったまともな写真が無い。その中でも一番映っているのがこの写真です。
京都にカメラを持っていくようになり、さらに庭を眺めるようになり、カメラばかりに気を取られたらだめだぞと自分に言い聞かせていたら、写真を撮るのを忘れていました(笑)。
本堂前で参りをしていると、お寺のご年配の女性が本堂に入れますよと声をかけている。
それが私に対してなのか、それとも周囲全体のことなのかあまり気にしていなかった。
本堂の脇に大きな灯篭があったので撮影。
南蛮灯篭か。
あ、写真の上の方に映っているのが本堂です。
そして視線を感じる。
先ほどの女性。私の動静をうかがっているらしい。
ここ1年で多くのお寺さんを巡ってきたので察した!!
急ぎ、靴を脱げる場所へ移動。
その様子を見て、女性も察したらしく本堂の中へ入っていった。
靴を脱ぎ、カメラをトートバッグにしまいながら本堂へ。
女性は入口の脇に立ち、先に入っていたご夫婦らしいお二人と私をご本尊前に設置されている座椅子に座るように促す。
そう、参拝客に対してお寺さんからご説明をしていただけるのだが、ハイシーズンならエンドレスで説明し続けても問題なかろうが、年の瀬のまだ昼前。観光・参拝客が少なく既に二人が本堂の中に入ったが、本堂前にいる私の処遇に迷っていたと思われる。
そして、放火後に元の形、大きさに復元されたご本尊、六万体地蔵尊菩薩を前にお寺のこと、建礼門院徳子のこと、阿波内侍のこと、彼女が大原女の手ぬぐい・甲かけ・足袋というスタイルの原点と言われていること。柴漬けの考案者であることなどのお話を聞きました。
六万体地蔵尊菩薩の六万は仏教のおける六道とたくさんという意味の万を合わせたという意味だそうです。
像の周囲だけでなく、像内にも数千体の小像が収められています。
放火の際には本堂は焼け焦げ失った中、ご本尊は真っ黒になりながらも凛として立ち続け、また像内の収蔵物は焼けずに取り出すことが出来たそうです。
1229年に作られた旧ご本尊は修復されて耐火設備のある収蔵庫で保管されているそうです。
ご本尊から五色の紐が伸びており、握ることが出来ます。
先ほどのお寺の方が「縁」に恵まれるのでとどうぞお握り下さいとおっしゃられます。
私以外にご夫婦二人。
重森三玲庭園美術館で説明後の額縁写真撮影を順番でどうぞ・・・にも遠慮の塊にならぬよう、先陣を切りましたが今回もそれではとばかりに握らせていただき、改めて手を合わさせていただきました。
ガイドブックだけではわからない、現地での説明の良さを実感。
建礼門院徳子と阿波内侍の座像が六万体地蔵菩薩像の奥、左右にあり拝見させてもらう。
もともとの像は焼けてしまったそうです。
再び外へ。
本堂前。
客殿前にある、ちょっとした風景。
おお、想定していなかったけど、ダイナミックな庭。
さあ、受付で説明を受けた順路で見学を続けよう!
ということで本堂の撮影を忘れる・・・。
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