そうだ京都、今年の冬も行こう(12)寂光院その3 [紀行]
受付で丁寧に拝観順路について案内を頂いた。
また、頂いたパンフにもイラスト付きで書いてあり、その通りに進むとする。
本殿前を通り、建礼門院徳子御庵室跡へと向かうのだが、その途中にある古木が千年姫小松。
平家物語の中にも登場する汀の池の側に立つ桜と松。
松は姫小松と呼ばれ、桜はみぎわの桜と呼ばれる。
樹齢数百年と言われた姫小松も前述の本堂火災の際に影響を受けてしまい、倒木の危険もあり伐採。
御神木として祀られています。
一旦、小路を挟んで奥のエリアへ。
見えてきたのが建礼門院徳子御庵室跡。
壇ノ浦の合戦で平家が敗れ、建礼門院は助けられ大原寂光院に閑居。
ここが隠棲したとされる場所。
1191年2月に亡くなられるまで、約5年半の間ここで余生を送ったとのこと。
そばには建礼門院が使ったとされる井戸も。
公開されていないが、宝物庫の側も通る。
ここに旧御本尊などが保管されているはず。
しっかりとした外観で、恐らくは見かけ以上に耐火性が施されているはず。
こちらが汀(みぎわ)の桜。
あ、この写真に少しだけ本堂が写っています。
宝物殿に入り、寂光院の歴史に関係する資料を観る。
そして旧ご本尊の体内に安置されていた体内にあった3000体以上の地蔵菩薩像のうち一部が公開されていた。
また、本堂放火に関するコーナーもあり当時の新聞が引き伸ばされて掲示されていた。
先ほど本堂でお寺の方にご説明を受けましたが、本堂はあっという間に焼け落ちてしまったが、そこに真っ黒焦げに焼けながらもご本尊は凛として立ち続けていたとのこと。
そして、その様子がうかがえる写真が新聞に掲載されていた。
灯油がまかれて火に包まれながら、そして懸命の消火活動により大量の水を浴びながらご本尊の胎内に桐箱に入れられて納められていた小さな地蔵菩薩像は殆ど焼けることなく、殆ど濡れることなくほぼ無傷の状態とのこと。
当時、関係者の方の落胆とその中で見えた光。少しだけ新聞記事を通して知ることが出来ました。
さあ、少しずつ大原が賑やかになって来た。
お昼になって、少しずつ観光客が動き出したようです。
バス停に戻って、大原を後にしようか。
バス停への道は迷うことなく・・・
この橋を再び渡ります。
大原バス停の到着。
バス停と言っても、案内所があるちょっとした小規模ターミナル。
発着する系統も複数ある。
じっと路線図と時刻表をにらめっこ。
次に向かう場所へはどの系統で行っても直行では行けない。
もう間もなくやってくるバスは乗り換えてしばらく歩く。
25分後位にやってくるバスはある程度近くまで行くがやっぱり少し歩く。
以降、見て廻る時間を考えればどっちみち歩く気マンマンでいつも京都に来ているのだからすぐにやって来るバスに乗り込むことに。
購入済みの京都観光一日乗車券(1200円)を使うことが出来る。これで二度目の使用。まだ、元は取れていない(笑)
次回の出張も東京なので、しばらくは京都に行けそうにありません。外国人観光客も多いみたいですね。
ゆっくり行けるとしたら、定年後かなあ。行きたい場所は関西ばかりですが、出張となるとやはり東京が多くなります。
by saki (2016-01-11 10:42)
sakiさん、こんばんは
東京も外国人観光客がとても多いと実感しています。
特に東京駅のタクシー乗り場で。
タクシーの運転手さんと話をすると、外国人観光客の比率が高く、日本人にあたるとホッとすると言っていました。
東京駅のバス停とタクシー乗り場の構造、ほぼ大きな荷物があるのでトランクの利用、行き先が乗客自信がよく分かっていないとのこと。
これからも課題ですね。
by maeboo. (2016-01-11 18:11)