そうだ京都、今年の冬も行こう(24)青蓮院門跡その4 [紀行]
天台宗、三門跡寺院とされる青蓮院門跡。
残り二つは今朝訪れた三千院、それに妙法院。
ちなみに曼殊院門跡も天台宗の門跡寺院であり、天台五門跡寺院とすれば曼殊院も含まれる。
偶然か、意図的か私にもなじみが深い天台宗の門跡寺院を一日でみっつ回りました。
広くて複雑な院内を拝見させてもらい、徐々に傾いた日差しが斜めに部屋を照らすのを感じつつ、せっかくだからお庭へと出ました。
華頂殿(書院)にはあれほど拝観者がいたのに、驚くほど庭を歩いている人が少ない。
このお庭の形式は池泉回遊式庭園。
見て楽しむだけでなく、歩いて観る鑑賞方法。
もったいなよね。
相阿弥が作った室町時代からのお庭は華頂殿からも見えるけど、小堀遠州の庭は歩いていかないと見えないよ。
そんなことを思いつつ、華頂殿から庭を眺めている皆さんを見て、お庭の散策スタート。
先ほど、華頂殿からも観ましたが相阿弥の庭の中心にある龍心池とそこにかかる石橋、跨龍橋。
橋は花崗岩から切り出した2枚の石で造られています。
では、小堀遠州の庭の方へ行きましょう。
華頂殿越しに空を見上げます。
今日一日、狐の嫁入りはありましたが、それでも私にとっては天候に恵まれ、寒すぎることもなく過ごしてきました。
そんな空にもそろそろお日様がさようならをしそうだよと合図を送ってくれています。
小堀遠州の庭には私以外に一人だけ。
アジア圏内の外国人観光客の模様。
小堀遠州の庭は南禅寺の金徳院、二条城庭園などを拝見し、また遠州作と言われている南禅寺方丈庭園も観た。
しかしながら私の勉強不足で、ああこれこそが遠州の庭だ!なんて理解できるステージではない。
重森三玲さんの庭なら、なんとなくわかる気がするけど。なんとなくね。
霧島つつじが一面に植えられた庭で霧島の庭と名付けられています。
ガイドブックにも小堀遠州作伝と記載されています。
南禅寺方丈庭園も遠州らしくないと言った三玲さんにご意見を賜りたいところか。
あまり、記憶に残らずシャッターも切らないまま霧島の庭を見て戻ってくる。
出口は先ほどの華頂殿と玄関の脇ではなく、小御所や宸殿のそばを通ってぐるっと外周を回ってくる。
ご本堂の前から最初に訪れた宸殿方面を眺めます。
本堂にはご本尊である熾盛光如来(しじょうこうにょらい)の曼陀羅が安置されています。
拝見することはできませんが。
振り返り、その本堂。通称、熾盛光堂。
そして、青蓮院門跡といえば私はやっぱり大きなクスノキ。
先ほど入る際に2つの大きなクスノキをみましたが、境内には合計5本のクスノキの巨木があります。
私が教科書で勉強した歴史。
このクスノキはずっと見てきたのでしょうね。
さあ、のんびりとしましたが冬の京都の拝観時間は短い。
青蓮院門跡で拝観時間いっぱいまでいるならば、もう他の寺社仏閣の拝観は望めない。
お腹が減ったのもピークが過ぎて落ち着いてしまった。
ならば、もうひと踏ん張りして思い出作りをするとしよう。
外に出ます。
入口の大きなクスノキも訪れる夕闇に溶け始めています。
2015年5月に知恩院から東山駅に向かう時に外国人観光客と一緒に見上げたのが
このクスノキ。
大きいなぁ。
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