そうだ京都、青もみじを見に行こう(18)妙心寺 [紀行]
桂春院を出て、次の塔頭を見に行こうと移動を開始。
広大な妙心寺に北門から入り、やや東寄りにある桂春院をまず拝観した。
次に西寄りにあろう、塔頭に行こうと思ったのだが・・・
歩けどもまっすぐ西へと向かう道が無い。
少し西へ歩けたかと思っても、直角に曲がり南側へ誘導される。
それの繰り返し。
前にはGWでも部活動で通学している男子高校生。
目的地が明確であること、そして脚力の違いで少しずつ差をつけられる。
分かった。
西へと向かうには、この大きな伽藍を回り込む必要があるのだ。
桂春院を出て、元の道に戻った方が西側へ出るのは早かったのだ。
回り込んでほぼ南側まで到着した。
ならば大本山妙心寺を拝観しよう。
どうやら私は仏殿と法堂の間にいるようだ。
北側に大方丈が見える。
よし、雲龍図を見に行こう。
この唐門の奥が大方丈ですね。
視線を左側に移すと・・・
ここより大方丈、大庫裏へ。
受付で拝観料を納めると、次回の雲龍図案内の時間と集合場所(この写真、入ってすぐ左側にベンチがあり、そこ)を説明頂く。あと15分程度なのでそれまでは大方丈を見学しては如何ですか?と言われそれに従います。
大方丈内部、そして南庭を見て集合時間まで過ごします。
これから観に行く雲龍図が印刷されたパンフが拝観料納付済みのサインとなるのでバッグに仕舞わずに持っている。
外国人観光客がこの再集合のシステムを果たして理解しているのかちょっと心配。
500円納めた割に物足りなさそうな顔。帰ってしまいそうな状況。
その時、先ほど受付に居た女性が案内開始を告げて法堂への移動を開始した。
時系列がズレますが、これが後ほど撮影した写真。
写真が大方丈から法堂へと移動中の参拝客。
一度に靴を脱げる人数は限られるので、順番待ちをしています。
さあ、この先は撮影禁止。
80人前後の参拝客が法堂内部に入り、天井を見上げながら説明を受ける。
狩野探幽が8年の歳月をかけて描いたと言われる雲龍図。
見る方向により動きや表情が変わって見える、八方睨みの龍。
説明の後、ガイドさんについて行き、天井の龍を見ながらくるっとほぼ全方位から龍を見ます。
下り龍、昇り龍。
龍の眼がはっきりと二つ見えたり。
2007年のそうだ京都、行こうキャンペーンポスターにも採用されています。
その他にこの法堂内に鐘が展示されています。
みんな龍を見上げながら、鐘の説明を聞いています。
その鐘は吉田兼好の徒然草にも登場する程で、日本最古の梵鐘と言われます。
徒然草第二百二十段
およそ鐘の声は黄銅調の鐘なるべし
古いだけでなく、その音色が素晴らしかったそうです。
この鐘、実際に昭和40年代まで撞かれ、その音が周囲に響いたそうですが、鐘には目に見えないひびが入っているようで、撞くと破損してしまう可能性があり、降ろされてこの法堂内に展示されているそうです。
外に吊るされているのは原寸大のレプリカだそうです。
ああ、そんな綺麗な音なのか。聞いてみたいな。
と、思ったら流石、録音した鐘の音を再生してくれました。
龍を見ながら、黄銅調の鐘の音を聞きます。
ごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん
想像つきませんか?
ならば、大晦日の日、NHKのゆく年くる年で鳴らされていた鐘の音。あれが、この妙心寺の黄銅調の鐘なんだそうです。
その後、移動開始。
次の場所が狭いので、広い法堂で大まかな説明を聞きます。
次に案内頂けるのは明智風呂。
靴を履いて、法堂から仏殿、三門方面へとみんなで歩いて行きます。
三門。
春日の局によって建てられた合図の鐘がここにあったそうですが、火災消失。
近年移築されたものです。
お風呂が沸きましたよ!
鐘を鳴らし(さっきの黄銅調の鐘とは別です)、多くの塔頭寺院の和尚さんにお風呂の準備完了を告げるのです。
明智光秀が使った浴室・・・ではなく、光秀を供養する為に建てられたもの。
明智光秀の叔父が妙心寺の密宗和尚であり、光秀より寄進された浄財で建てたとの事。
スチームバス。沐浴ですね。
内部の撮影は出来ませんが、その浴室と温度調整用の戸。
緩やかな傾斜があり、湯が足元に溜まらずに流れていく構造。
そして、和尚さん達が着替えを布に包んでこの浴室へとやって来る。入浴時の着替えを包む布が「風呂敷」であること。
などなど説明を頂き、ここで解散です。
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